三陸ジオパーク
三陸ジオパークについて
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おしらせ(イベントなど)
ジオパークとは?
三陸ジオパークについて
山田町のジオサイト紹介
おしらせ(イベントなど)
ジオパークとは?
「ジオパーク」とは、地球(ジオ)と公園(パーク)を組み合わせた言葉で、「大地の公園」を意味します。
太古の歴史から現在の人々の暮らし、自然の恵みや地球変動による災害まで、
地球を学び、知見を広げる、それがジオパークです。
詳しくは、日本ジオパークネットワークWebサイトの「ジオパークとは?」をご覧ください。⇒ 日本ジオパークネットワーク(外部リンク)
三陸ジオパークについて
三陸ジオパークは、平成25年9月に日本ジオパークとして認定されました。
エリアは青森県八戸市から岩手県の沿岸を縦断して宮城県気仙沼市まで。
南北約220km、東西約80kmで、その海岸線は約300kmにもおよぶ日本一広大なジオパークです。
三陸地域では、地球の活動によって形成されたさまざまな自然の造形を見ることができますが、これらは昔から現在の形でそこにあったものではありません。
太古の時代から続く地球の営みが長い時間をかけて少しずつ造ってきたものであり、今日までの地球の歴史が刻み込まれているのです。
その痕跡を「科学の目」を通してみることで、いつ、どこで、どのようにしてできてきたのかを知ることができます。
三陸地域は、地球活動の歴史を実際に見ることができる地域(ジオサイト)に恵まれています。
詳しくは、三陸ジオパークwebサイトをご覧ください。⇒ 三陸ジオパーク(外部リンク)
山田町のジオサイト紹介
山田湾ジオサイト/オランダ島
山田湾は三陸海岸の中央部にあり、隆起海岸とリアス海岸の両方の特色を兼ね備えた、差し渡し約5kmの内海です。
周囲を標高500mを超える山々に囲まれることで、外からの風波の影響を受けにくく、湾内は極めて穏やかです。
一見すると湖のようですが、水深は深いところで50mを超え、水面下は過去の地殻変動によるでこぼこが激しい地形をしています。
そのため、船舶の航行も容易で、古くから天然の良港として人々に親しまれてきました。
山田湾の沖合、三陸沿岸は黒潮と親潮がぶつかり合う、世界三大漁場の一つ。
季節ごとに複雑に変化する暖流と寒流の影響を受け、山田湾の水温は、夏は25度近く、冬は6度くらいまで変動します。
このため一年を通して様々な魚種が生育し、春のオキアミ漁に始まり、夏のイカ漁、秋のサケ漁、冬のアワビ漁と、四季折々の魚介に恵まれています。
とりわけ波静かな湾を生かした養殖漁業が盛んで、湾の一面にはカキやホタテが吊り下げられたいかだやはえ縄が浮かび、
自然と人の暮らしが調和した独特の景観を生み出しています。
山田湾の中央部には、山田湾のシンボル、オランダ島(大島)と小島が浮かんでいます。これらの島々は、花崗岩によりできている島です。
オランダ島の名は寛永20年(1643年)、オランダから来航したブレスケンス号が、水と食料を求めてこの島付近に錨をおろしたことに由来します。
ブレスケンス号が来航した目的は、黄金の国ジパングの金でしたが、波の穏やかな山田湾が気に入り、二度も来航しています。
豊間根川ジオサイト/豊間根川チャート-砕屑岩シーケンス
宮古市と隣接する豊間根地区は、およそ2億年前のジュラ紀に形成された付加体から成る北上高地と、
1億5千万年前の白亜紀の火成岩類から成る十二神山に囲まれた箱庭のような山里です。
山々にはイヌブナをはじめとした広葉樹がヒスイ色の葉を茂らせ、
サファイア色に輝く清流にはイワナやヤマメが流れに身をゆらしています。
かつては河童が隠れ住んでいたとさえ言い伝えられています。
そのふもとに広がる人里には、人々を見守る石碑が立ち並び、
オシラサマを祭った旧家が点在するなど、民話の世界が広がっています。
北上高地北部には、2億年前のジュラ紀に海洋プレートからはぎ取られた付加体と呼ばれる地層が残され、広大な山岳地帯を構成しています。
大きく分けると、葛巻-釜石亜帯と、安家-田野畑亜帯に二分されます。
豊間根川チャート-砕屑岩シーケンスは、葛巻-釜石亜帯の南部に位置し、釜石層と呼ばれています。
豊間根川沿いでは、付加体による地層の保存状態が良く、林道を歩きながら間近に観察することができます。