復興まちづくり情報

第三節 救護、応援

目次

  1. (一)、御内帑金下賜
  2. (二)、陸海軍の救援
  3. (三)、臨機応急処置
  4. (四)、救護事務開始
  5. (五)、医療救護
  6. (六)、各種団体の救援
  7. (七)、義捐金品募集分配

山田町罹災地御慰問の大金侍従の写真

罹災地御慰問の大金侍従(山田)岩手県昭和震災誌

山田町満洲出征兵の家族を慰問する石黒知事の写真

満洲出征兵の家族を慰問する石黒知事(山田)岩手県昭和震災誌

織笠の復旧した海苔養殖場の写真

復旧した海苔養殖場(織笠)岩手県昭和震災誌

山田町街路復旧工事の写真

街路復旧工事(山田)岩手県昭和震災誌

田の浜消防団による復旧作業の写真

消防団による復旧作業(田の浜)岩手県昭和震災誌

船越稚蚕共同飼育所と漁船の復旧の写真

稚蚕共同飼育所と漁船の復旧(船越)岩手県昭和震災誌

織笠村海苔乾燥場の写真

織笠村海苔乾燥場(織笠)岩手県昭和震災誌

山田街路復旧工事の写真

街路復旧工事(山田)岩手県昭和震災誌

山田復旧作業応援隊の写真

復旧作業応援隊(山田)岩手県昭和震災誌

津波後の船越の写真

津波後の船越(三陸津波に因る被害町村の復旧計画報告書)

津波後の田の浜の写真

津波後の田の浜(三陸津波に因る被害町村の復興計画報告書)

津波後の山田の写真

津波後の山田(三陸津波に因る被害町村の復興計画報告書)

地震、津波の災害の特徴の一つは、それが極めて広い範囲に及ぶことであろう。然かも其の被害は生命の危険はもとより、家屋、家財、食糧、衣料等の流失にも及び、直接、身体に加えられる影響が甚だ多い。救護応援の緊急なるべきこと言を俟たない。

これらのことがらは一町一村のなし得ることがらではない。全県、全国の対策によってのみ可能のことであろう。

幸い、石黒知事は後に災害知事と称せられた程、津波対策に全力を傾け、救護応援が極めて適切であった。地方の行政機関、各種団体等の献身的な努力と相俟って、食糧、衣類の配給、健康管理等、行届いた処置が適確に実施されたことは不幸中の幸と言うべきことであった。

以下は「岩手県昭和震災誌」に述べる救護応援の実態である。

(一)、御内帑金下賜

侍従御差遣

岩手、宮城、青森の三県に亘る惨禍の情報一たび天聴に達するや、天皇・皇后両陛下には深く御軫念あらせられ、畏くも罹災民賑恤の思召を以て三月四日、御内帑を開かせ給い且侍従差遣の御沙汰を賜わった。

即ち侍従大金益次郞氏は、聖旨を奉じて三月四日午後十時三十分東京上野駅を発し五日午前七時仙台駅に御到着、午前九時宮城県庁正庁に於て罹災三県の知事を召して優渥なる叡旨並に御内帑金を伝達し、更に親しく災害の情況を聴取せられたが、本県よりは内務部長書記官前田慎吾、知事代理として出頭し、御内帑金参万円を拝受した。

三月八日、大金侍従は自動車にて、釜石町鵜住居村両石部落、大槌町吉里吉里部落、下閉伊郡船越村田の浜部落を御視察の後、同村役場に於て御昼餐、午後二時御出発、織笠村、山田町、大沢村、津軽石村、宮古町鍬ケ崎を御視察の後、同町に御宿泊なされる。

尚、御内帑金頒賜の基準は左の通り

  • 一、死亡者及行方不明者一人金七円
  • 二、負傷者同金三円
  • 三、住宅全焼流失及倒壊一世帯金一円
  • 四、罹災世帯同金一円
  • 五、出動将兵の罹災世帯同金一円
御下賜金頒賜表
伝達式場 伝達主任官 町村名 頒賜金額(円) 罹災世帯 死亡 負傷 行方不明 出動将兵 流失 焼失 例壊
山田町役場 知事官房主事地方事務官
櫛田文男
山田町 一、一三二 七〇二 三五 一七三   二〇一
大沢村 二七六 一七三     五五   四〇
織笠村 一一八 六七 二一   二一    
船越村 四八三 二二三 二八 一五 二〇三    
二、〇〇九 一、一六五 九一 二一 三五 一六 四三二   二四九

皇后陛下衣服地下賜

天皇・皇后両陛下には、さきに畏くも巨額の御内帑金を下し賜わったが、皇后陛下に於かせられては、更に罹災傷病者並に孤独の老幼に対して御憐愍を垂れさせられ、四月一日衣服地百五十一人分、裁縫料百五十一円を御下賜あらせられた。

皇后陛下衣服地下賜品頒賜表
伝達式場 伝達主任官 町村名 御下賜品 重傷病者 六十才以上ノ孤独者 十四才未満ノ孤独者 重傷病者中十四才未満ノ者 重傷病者中六十才以上ノ者 重傷病者中十四才以上六十才未満ノ者
衣服地 裁縫料(円)
下閉伊支庁 下閉伊支庁長地方事務官 佐川盛造 山田町 一〇 五、〇〇 一〇     一〇  
船越村 一三 六、五〇 一三     一三 一〇
大沢村 二、五〇    
織笠村 五〇          
二九 一四、五〇 二八   二九 二二

各宮家の御救恤

秩父・高松両殿下を始め、各皇族に於かせられては震災の惨禍に対し、いたく御同情遊ばされ、各宮家の別当、事務官会議を開いて協議の結果、秩父・高松・閑院・東伏見・伏見・山階・賀陽・久邇・梨本・朝香・東久邇・北白川・竹田の各宮家及び昌徳宮・李王の王公家より罹災民御救恤のため金二千円を御下賜に決定し、内閣を経て、一道三県に伝達され、本県には金一千五百円が頒賜され、左の如く罹災地町村長に伝達された。

宮家王公家御救恤金頒賜表
町村 均霑割(円) 罹災人口割(円) 合計(円)
下閉伊 船越村 二一、〇〇〇 二九、七五〇 五〇、七五〇
織笠村 二一、〇〇〇 九、三七〇 三〇、三七〇
山田町 二一、〇〇〇 四三、七〇〇 六四、七〇〇
大沢村 二一、〇〇〇 一九、七二〇 四〇、七二〇
合計 八四、〇〇〇 一〇二、五四〇 一八六、五四〇

(二)、陸海軍の救援

1 陸軍

一、陸軍省

陸軍省は本県沿岸地方惨禍の情報に依り、三日直ちに恤兵部より金一万円を盛岡聯隊区司令官に交付して満州派遣兵遺家族罹災者賑恤の資に充て、又被服本廠より毛布及び外套(第二装)七千着を交付し、次いで四日には陸軍大臣の代理として陸軍少将谷寿夫氏に派遣し宮古並に釜石地方の被害状況を視察せしめた。

二、第二師団

第二師団司令部は気仙郡地方の被害甚だしく且つ四日午後に至るも第八師団の救援及ばざるを知り、宮城県気仙沼地方に派遣中の第二救護班に対し赴援を命じた。即ち班長陸軍一等軍医鈴木時定以下七名は五日早朝気仙沼を発して気仙郡高田町に至り、警察官署と連繫を執り気仙町長部部落並に米崎・小友・広田の各村を巡回して罹災患者の救療に従い、同日午後六時広田村に於て第八師団救護班と会し引継を了して帰還した。

三、第八師団留守司令部

第八師団留守司令官(陸軍中将原田敬一)は盛岡聯隊区司令官の報告並に本県知事の電請に依って、直ちに盛岡衛戍司令官をして所要の兵力を罹災地方に派遣し救護に任せしめ、一方弘前・盛岡両衛成病院をして救護班を編成し即日現地に急行せしめた。次いで四日司令部附歩兵中佐福田峰雄氏を盛岡市及び罹災地方に派遣して全般の統制・連絡に任ぜしめ、又別に本県知事の要求に依り被服及び糧食品を送附し、且つ師団管下の各隊に於ける罹災地出身将兵に対し食糧三日分を携帯帰郷を許可し災害善後の処置に当らしめた。

四、盛岡衛戍司令部

盛岡衛戍司令官たる騎兵第三旅団長市瀬少将(源助)は即日臨時司令部を本県非常警備司令部に移して相互の連繫を密にし、先づ五班の将校斥候に糧食・寝具・衛生材料等を携帯して罹災地に急行せしめ、更に満洲派遣兵遺家族の被害調査並に物資配給状況調査の為将校を長とする五班の調査隊を派遣し、電信電話線の復旧、道路橋梁の補修等の為工兵隊を二班に分ち被害激甚の地方に派遣した。

五、盛岡連隊区司令部

盛岡連隊区司令官国崎大佐(登)は三日午前六時三十分本県知事の招請に依つて県庁に出向し、県当局並に衛戍司令官と被害状況の調査及び救済の方法に就いて慎重協議を重ね、午前七時陸軍省並に第八師団留守司令官に概況を報告し且つ救援を要請した。次いで午前八時宮原中佐以下職員五名を罹災地に派遣して救護と調査に任ぜしめ、更に被害地に隣接せる町村の在郷軍人に総出動を命じ、管内を五区に分って各々第一線・第二線の二班に編成し司令部職員並に中等学校配属将校をして其の指揮官たらしめ、第一線班は衣糧の配給、死者の捜索収容、負傷者の救護、交通路の復旧、破壊家屋の整理及び警備に任じ、第二線班は後方に在って救恤義捐金品の蒐集輸送、第一線出動員の斡旋等に任じた。

六、派遣部隊の活動

⑴ 騎兵斥候班

第一乃至第五各斥候班は三月三日午後九時より四日朝の間に於て各々担任地区に到着し、地方官民及び在郷軍人等を督励、救恤品の配給其の他諸般の統制に任じ殊に交通杜絶し被害の劇甚なる寒村僻地の救済に努力したが、是等の地方には未だ各種団体の活動が開始されなかったので地方民は狂喜感激して之を迎へ、各班員亦必死の活動を為し概ね三四日を以て其の任務を終了し、又斥候班に属する医療救護班は他の救護班に先だちて僻遠の罹災地に到り負傷者の治療に任じ三月九日を最後とし順次孰れも帰還した。

⑵ 工兵隊

工兵第八大隊の大半は満洲派遣中で留守の兵員は極めて少かったが、被害の激甚に鑑みて最大限の兵力を出動するに決し、小粕大尉以下三十八名を以て第一班とし佐藤少尉以下十三名を以て第二班とし、第一班は鵜住居村を中心とする地方に第二班は宮古町を中心とする地方に派遣し、各班員は夜を日に継いで電信電話線・道路橋梁等の応急修理に努力し通信及び交通上に多大の利便を寄与して十日帰還した。

⑶ 救護班

盛岡衛戍病院は軍医二・看護長四・将校四・下士官兵五二を以て、弘前衛戍病院は軍医一・準士官一・下士官兵二〇を以て各々救護班を編成し即日罹災地に向って救療に従い、盛岡班は八日弘前班は十日それぞれ任務を終了して帰還した。

2 海軍

一、横須賀鎮守府

横須賀鎮守府司令長官(中将野村吉三郞)は三陸沿岸地方の災害激甚の情報及び本県知事の救援要請に依って、直ちに第一駆遂隊の野風・沼風・神風及び第六駆遂隊の稲妻・雷の各艦に被服・糧食等を積載して急遽罹災地に向はしめた。即ち各艦は舳艫を銜んで一路北進し、翌くる四日午前十一時前後には濛々たる黒煙を空高く曳きつつ大船渡・釜石・宮古・久慈の各港に入りて投錨、饑寒の苦しみに生ける心地も無い罹災民の、遙かに其の勇姿を望み狂喜して迎うる中を凛々しい白脚胖姿の水兵はモーターボートに依って上陸し、既に到着の大湊要港部第四駆遂隊員と協力して救恤品の陸揚を為し、次いで六日早朝には軍艦厳島が管内将校下士官の義捐にかかる救恤品(白米三〇〇俵、砂糖三〇俵、醬油一〇〇樽、罐詰二、四〇〇個、漬物二〇〇樽其他)及び毛布・軍衣袴・襦袢・雨衣等を積載して釜石に入港し更に北航して宮古に至りそれぞれ救恤品を配給して帰還した。

尚ほ横須賀鎮守府司令長官は罹災地出身の海軍兵に帰郷を許可し災害跡の整理其の他に当らしめた。

横須賀海軍軍需部救恤品
砂糖入乾麵麭 八、五〇〇瓩
貯蔵獣肉 三、五二八
貯蔵魚肉 四、一七六
白米 一五、〇〇〇
圧搾麦 四、六八〇
乾物 三四四
缶詰野菜 一、〇一二
一〇〇瓦
六〇瓩
凝脂 三四
植物油 七二立
九〇
火酒 九三、六
毛布 八、七一〇枚
被服梱 七五七個
缶詰牛乳 一四九瓩
醤油 一、〇四〇立
二八〇瓩
麦粉 二六四
鶏卵 一〇
白砂糖 一二〇
黄双 二四〇
下士官軍衣 一三、三三〇
下士官軍袴 四、二〇〇
兵軍袴 九、一三〇
下士官 軍楽兵 襦袢 九〇〇
兵襦袢 五、七七〇
雨衣 二、〇〇〇
壱号麻袋 八七四

二、大湊要港部

大湊要港部司令官(少将河野董吾)は三陸沿岸地方一帯に亘る被害の激甚なるを憂慮し且つ本県知事の救援要請に依って、直ちに前日来陸奥湾に出動訓練中の第四駆遂隊を招致して救難準備を完成せしめ三日午後零時五十分より同五時二十五分に至る間に於て逐次災害地に向け派遣し、其の後の情報に依り主として救難物資(建築材料)輸送の為更に特務艦大泊を増派するの必要を認め、午後十一時之を八戸港に出動せしめた。即ち第四駆遂隊の秋風・太刀風・帆風・羽風の四隻は、翌くる四日午前六時三十分秋風の宮古入港を始めとし各艦孰れも予定の配備地点たる八戸・山田・大槌・釜石等に到着し、横須賀鎮守府より派遣の第一第六各駆遂隊と協力して専ら海上の捜査並に救護作業に従事した。而して六日に至り罹災地の秩序略々回復し且つ各地面の救護措置が行き渡り殆ど艦船に依る救難を要せざるに至ったので、同日午前九時釜石に入港した軍艦厳島塔載の海軍救恤品の配給作業を以て任務を終了し七日午後五時大湊に帰還した。又特務艦大泊は四日午後零時八戸港に到着し釜石方面に輸送すべき建築材料を積載して午後十時出港、難航を績けて翌くる五日午前七時釜石に到着し陸揚を完了して六日午後二時大湊に帰還した。

大湊要港部救恤品
白米 八一俵
砂糖
醤油 二六樽
缶詰 五八箱
漬物類 五四樽
キャラメル類 一、四八五個
毛布 一、六〇四枚
火酒 二箱
乾麵麭 一九五瓩
繃帯 三二二個
脱脂綿 一、三二二包

三、航空隊

霞ケ浦海軍航空隊は三日午前九時本県知事の発した「岩手県東海岸大海嘯アリ、被害甚大ノ見込、飛行機派遣状況偵察頼ム」との電信に依って直ちに出動を命じ、之と前後して館山海軍航空隊も亦出動を命じ、四機の偵察機は銀翼を列ね西十八米の烈風を冒して北進し、午前十一時早くも本県海岸の上空に機影を現はした。夜の明くるとともに意外に惨憺たる災禍の光景を眼の辺りにし、飢と寒さとに戦慄恐怖していた三万四千の罹災民は、皆其の勇ましい轟音を聞いて蘇生の思いを為し、救援の近く至るべきを察して漸く愁眉を開くを得た。

(三)、臨機応急処置

県は惨害の判明するに及び、三日早朝庁内協議会を開いて、救護に関する方策を凝議し、事務分担を左の如く決定した。

  • 情報接受及通達 警察部
  • 庶務並対外応接 社会課 庶務課
  • 物資蒐集及配給 農務課 商工水産課 山林課 土木課
  • 義捐金接受 会計課
  • 救療 衛生課

◎罹災応急救助計画

一、機関

県に本部を置き各地方中心警察署に支部を置く。各公衙各団体は協力して分担活動のこと。

二、救助実施方法

各罹災地必須の物資は第一次的に地方支部に於て供給計画を樹て、不足分は状勢に応じて本部より供給のこと。

三、救助実施計画

⑴被服

  • イ呉服商と協議すること
  • ロ女子中等学校、女子各種学校に仕立を依頼すること
  • ハ夜具準備の手配をすること(軍隊より毛布を借入れること)一二、五〇〇枚
  • ニ下着、シャツ、ズボン、外套は愛国婦人会、男女青年団、在郷軍人等を総動員し、蒐集せしめ送付すること、各一、二五〇着宛
  • ホ最寄町村の活動を促すること

⑵食糧

  • イ農務課に於て手配方依頼せしむること(米、味噌、醬油類の輸送)
  • ロ炊出は最寄町村に依頼すること

⑶救療班

衛生課に救療班の派遣を依頼すること

⑷避難所

各小学校、寺院等を当てること

⑸死者埋葬

罹災地に於て適宜処置すること

(四)、救護事務開始

寒威凛烈の真夜中に蒼惶、身を以て難を免れた三万四千の罹災民に対して最も急を要するのは被服と食糧の配給であった。即ち県は其の全力を之等救護物資の調達並に配給に傾注し、三日早朝、救護総本部を本庁内に置き、各課長等を罹災主要地に派遣して、其の連絡統制に任じ、且つ救護配給事務を指揮統督せしめた。

三月三日同四日庁員派遣表
派遣方面 指揮官 属僚
三日派遣 四日派遣
岩泉・小本 商工課長 高瀬地方事務官 属 吉田米三 属 名久井末次郎 属 佐藤勇之進 雇 高屋小一
主事補 小原安治 書記 笹間孝
宮古・山田 庶務課長 戸田地方事務官 技 手中沢謙吉 書記 佐藤三千治 属 岩崎平治 雇 阿部正一

救護総本部は庁員を各現地に派遣すると共に直ちに配給物資の調達に着手し、白米、味噌、漬物、毛布其他日用品等を配し、万難を廃して輸送、配給に当った。

救護品配給表(三月三日午後三時半現在)
品名/配給方面 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
白米 四〇俵 五〇 三三 二〇 二〇
味噌 三樽 一三
潰物 四樽
毛布 一二七 七一 八六 一七 二〇
軍隊 四〇〇 軍隊 二〇〇 軍隊 二〇〇
乾麵麭   軍隊 六箱 軍隊 三三〇食分    
缶詰 軍隊 一二箱 軍隊 六箱 軍隊 八〇〇個    
靴下 六四八足 三六五 四三九 九二 一〇八
タオル 四七七本 二七〇 三二六 七〇 八一
足袋 五一〇足 二八八 三四六 七二 八四
砂糖 一俵
蠟燭 五、〇五〇本 二、八二五 三、四二五 六七五 八二五
燐寸 六九〇個 三七〇 四五〇 一〇〇 一一〇
提灯 三五個 二五 二五 一二 一三
軍手 一、〇二〇組 五六四 六七二 一五六 一六八
五〇〇枚   五〇〇    
白米 花巻ヨリ 四〇        
遠野ヨリ 三五
味噌 遠野ヨリ 七樽        
花巻ヨリ一〇
寝具 遠野ヨリ 五〇人分        
漬物 花巻ヨリ 一〇        
衣類 黒沢尻ヨリ四五〇        

救護総本部は、同三日、更に午後四時、及び午後十二時の二回に亘り、夜を徹し、難路を冒して、衣糧、其他の輸送を行った。

救護品配給表(於二十二時間内)
品名 配給方面 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
白米 五〇俵 一四〇 三三 二〇 一七〇
味噌 八三樽 二三 三〇 二九 六八
漬物 二二樽 二三 一七 一五
毛布 九七七枚 五七一 五九六 四一七 一六〇
軍隊 四〇〇 軍隊 二〇〇 軍隊 二〇〇
乾麵麭 一、〇〇○食 一、〇〇〇 七〇〇 七〇〇 六〇〇
軍隊 六箱 軍隊 三三〇
缶詰 軍隊 一二箱 軍隊 六 軍隊 八〇〇    
靴下 一、一二八足 八四五 七三九 三三二 三四八
タオル 四七七本 二七〇 三二六 七〇 八一
足袋 一、一一〇足 八八八 七四六 二七二 二八四
砂糖 一俵
蠟燭 一〇、一七二本 七、九四七 八、五四七 三、二三六 三、三八六
燐寸 三、五七〇個 三、二五〇 一、八九〇 一、三〇〇 一、三一〇
提灯 六三五個 六二五 四二五 二一二 二一二
軍手 一、〇二〇組 五六四 六七二 一五六 一六八
五〇〇枚 五〇〇 五〇〇 五〇〇  
白米 花巻ヨリ 四〇俵       沼宮内ヨリ 一〇俵
遠野ヨリ 三五 松尾ヨリ 二〇
味噌 遠野ヨリ 七樽       沼宮内ヨリ 三樽
花巻ヨリ 一〇
寝具 遠野ヨリ 五〇人分   水沢ヨリ 五一七   沼宮内ヨリ二〇人分
釜石分 二〇〇人分 遠野ヨリ 一五〇
漬物 花巻ヨリ 一〇        
衣類 黒沢尻ヨリ四五〇点 三、〇〇〇    
沼宮内ヨリ 六〇点
外套 三〇〇枚 五〇〇 二五〇 二〇〇 五〇
醤油 六樽
襦袢 一〇〇枚 一〇〇 一〇〇 一〇〇 一〇〇
  八俵  
キャラメル 一、五〇〇ケ 一、四〇〇ケ 七〇〇ケ 七〇〇ケ 七〇〇ケ
ビスケット 二一貫 二一 一四
下駄 三〇〇足 三〇〇 二〇〇 一〇〇 一〇〇
草履 約 二千足手配中        
シャクシ 六〇〇本 六〇〇 四〇〇 二〇〇 二〇〇
チリ紙 五〇貫
茶碗 八〇〇ケ 八〇〇 六〇〇 四〇〇 四〇〇
ハシ 三、〇〇〇本 三、〇〇〇 二、〇〇〇 一、〇〇〇 一、〇〇〇
バケツ 二八八ケ 二八八 一九二 九六 九六
湯沸 三〇〇ケ 三〇〇 二〇〇 一〇〇 一〇〇
ヒシャク 四五〇本 四五〇 三〇〇 一五〇 一五〇
一五〇ケ 一五〇 一〇〇 五〇 五〇

尚救護総本部は三月七日復興事務局の新設に伴ない、局の一部たる救護部となり、七月十日を以て一旦救護の事務を終了したが、救護事務開始以来四ケ月余に亘って配給された救恤品は左の通りである。

救恤品配給表
品名 配給方面 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
白米 俵 七、五四三 四、九二九 三、九七八 九三〇 四六一 一七、八四一
〃 ―   一六
〃 ―      
大豆 〃 六〇 三七 三五 一四五
馬鈴薯 〃 四三 二〇 二二     八五
甘藷 〃 一七 三八
梱 二
蔬菜 貫 四、四三〇 二、二八一 二、二二一 四六四 四〇〇 九、七九六
味噌 樽 八〇二 五〇八 四九三 一四三 一七二 二、一一八
醤油 〃 六九九 二九七 三五九 七六 六〇 一、四九一
漬物 〃 三六〇 一八九 一七四 七四 六七 八六四
乾麵麭 箱 三〇 五五
缶詰 〃 四四 一七 二四 一一七 二〇九
砂糖 俵 五 一八
食料品 梱 五一 二七 一四 一〇七
キャラメル 個 二、八〇〇 一、六〇〇 九〇〇 一、〇三五 八〇〇 七、一三五
ビスケット 貫 二一 二一 一四 七〇
ミルク 箱 七〇 二六 三四 一〇 一〇 一五〇
菓子 〃 七三 三七 二八 一六 一五 一六九
毛布 枚 九、五三八 三、〇八三 四、二三〇 七四七 五〇一 一五、二〇一
寝具 〃 一一、六四九 四、六二一 四、六七八 九五九 九六六 二二、八七三
衣類 〃 一〇二、三八五 四九、六〇〇 六八、二三〇 一三、一七五 七、七〇一 二四一、三九一
個 二〇〇   一五〇     三五〇
外套 枚 一、三〇〇 二、五二〇 二五〇 五〇〇 五七〇 五、一四〇
靴下 足 一、一二八 八四五 七三九 三三二 四二八 三、四七二
足袋 〃 六、九九九 三、三八八 三、一四六 九二二 六三四 一五、〇八九
軍手、手袋 組 一、一七〇 一、〇六四 六七二 二七六 一六八 三、三五〇
タオル 本 八、〇〇六 六、三三三 三、六〇九 一、六一〇 一、六二一 二一、一七九
覆物 足 八、八八一 五、六一五 四、四八五 一、九九〇 二、〇五〇 二三、〇二一
天幕 張 二六二 二八五 一二〇 一二〇 一九一 九七八
莚、茣蓙、畳表 枚 一〇、二五二 七、三二〇 六、二四〇 二、三九〇 二、五二〇 二八、七二二
梱 九 二六
鍋、釜 個 三、〇五一 二、三七〇 一、七九〇 五八〇 七〇〇 八、四九一
火鉢 〃 二    
椀、皿、湯呑 〃 二〇、八七九 一九、五四九 一二、七五〇 四、八七〇 四、四七〇 六二、五一八
陶器 梱 七八 三七 三三 一六〇
本 三、〇〇〇 三、〇〇〇 二、〇〇〇 一、〇〇〇 一、〇〇〇 一○、〇〇〇
バケツ 個 二、一八七 一、一三七 一、一一一 二一九 二八九 四、九五三
洗鉢 〃 一、〇〇〇 四〇〇 四〇〇 一〇〇 一〇〇 二、〇〇〇
湯沸 〃 三〇〇 三〇〇 二〇〇 一〇〇 一〇〇 一、〇〇〇
庖丁 挺 六一七 四〇〇 三二〇 五〇 一三〇 一、五一七
杓子 本 六〇〇 六〇〇 四〇〇 二〇〇 二〇〇 二、〇〇〇
〃 ―   一〇〇     一〇〇
ヒシャク 〃 四五〇 四五〇 三〇〇 一五〇 一五〇 一、五〇〇
鉄瓶 個 五八 七五 一九     一五二
ランプ 梱 ―      
提灯 個 六三五 六二五 四二五 二一二 二一二 二、一〇九
燐寸 〃 三、六七〇 三、二五〇 一、八九〇 一、三〇〇 一、三一一 一一、四二一
蠟燭 〃 一〇、一七二 七、九四七 八、五四七 三、二三六 三、三八六 三三、二八八
薬品 〃 二四 一四 一三 六六
慰問袋 〃 九三八 六二七 六一四 二七三 二三四 二、六八六
学用品、書籍 梱 七二 七五 四二 一四 二一〇
雑品 〃 一、六五一 一、〇〇一 九一二 二三〇 一一六 三、九一〇
木炭 俵 八、五二六 一六七 一、〇二五 一〇八 一〇八 九、九三四
骨箱 個 一五〇 一〇〇       二五〇
晒木綿 反 五       五〇 五五
コンロ 個 四六 三〇 二五 一一一
本 四二〇 二五〇 二三〇 五〇 五〇 一、〇〇〇
食塩 叺 三三五 一三〇 一七五 三〇 三〇 七〇〇
農産種子 個 四    
小麦粉 袋 五五 二〇 二五 一〇 一一七
綿 梱 二    
煙草(バット) 箱 ―      
醤油エキス 〃 二    

●食糧の配給

県は罹災民の救護に就き食糧の配給を第一の急務となし、其の調達は原則として先ず地方救護本部にて行い、爾後地方の実情に応じて救護総本部より補給するの方針をとり四日朝に至るまでに前後三次に亘り配給を了した。

而して主食糧たる米は有償払下を申請した政府保管米一千石が到着したので、之に本庁調達分を加え、三月卅一日迄、一日平均二百十九俵宛配給したが、三月末現在の米、其の他の食糧品配給表は左の通りであった。

三月中食料品配給表
品名 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
白米 四、一五七 二、〇七四 二、〇二八 五〇九 四六一 九、二二九俵
    一六俵
        六俵
大豆 六〇 三七 三五 一四五俵
馬鈴薯 四一 二〇 二〇     八一俵
甘藷 一七 三八俵
六梱
蔬菜 二、八五〇 一、二九一 一、四三一 二七四 二四〇 六、〇八六貫
味噌 二九九 一八二 二三四 一〇三 一三三 九五一樽
醤油 一六四 八三 七九 二九 一〇 三六五樽
漬物 二九四 一六一 一三五 六九 五七 七一六樽
乾麵麭 三〇 五五箱
缶詰 四三 一六 二四 一一七 二〇七箱
砂糖 一六俵
食料雑品 四四 二二 二〇 八八梱
ビスケット 二一 二一 一四 七〇貫
ミルク 六九 二四 三四 一〇 一〇 一四七箱
菓子 七三 三七 二七 一五 一五 一六八箱
食塩 三三五 一三〇 一七五 三〇 三〇 七〇〇叺

而して三月三日より同三十一日に至る二十九日間の食糧は罹災救助基金を以て配給したが、四月一日以降は義捐金品を以て配給することとし、且つ救助の範囲を縮少して真に已むを得ぬ者のみに止め、左の如く各地方救護本部の米配当量を決定し配給の方針を指示した。

米配当量

  • 九戸地方救護本部 三〇石
  • 下閉伊地方救護本部 三三六石四斗
  • 釜石地方救護本部 四〇五石二斗
  • 盛地方救護本部 二五二石八斗

●米配給方法

一、食糧給与者の範囲は左に依ること

  • イ流失焼失倒壊等の罹災に依り困窮する者
  • ロ家族の死傷により困窮するもの
  • ハ前二号に該当せざるも漁船の流失破損等により困窮するもの。

二、罹災が単に家屋の浸水に止まるものにして従来配給しつつありしものは三月末日以降配給を打ち切るべきこと。

但し浸水程度及び困窮甚だしき者はこの限りにあらず。

三、第三項該当者なるも他に資力を有するか又は親類縁者等に扶養せらるる者は之を除くこと

四、救済事業着手又は就業開始等に依り食糧を自給し得るに至りたる者は之に対する給与を打切ること

以上の外食糧給与者範囲は出来得る限り縮少するよう努むべきこと。

五、給与者範囲の縮少は三月末日以降五日目毎に調査して之を為し、食糧給与の名簿に其の給与打切月日を記入し置くべきこと。

六、食糧給与人員の異動は其の度毎に町村長より地方救護本部に報告すべきこと。

七、其の他間接的に食糧給与者の範囲縮少に努むるため左の方法を執るべきこと。

  • イ罹災地物資の移入を円滑ならしむるため輸送能力及商取引の恢復、購買組合の発達等に努むること
  • ロ主として罹災者中の要給与者に町村内罹災復旧上の労役収入を得せしむる方法を講じ、食糧給与を打ち切るべきこと
  • ハ町村としての復旧工事、救済工事等は出来得る限り急速に着手すべきこと

県は右の如く就業の促進により食糧給与の減少に努めたが生業の資本たる漁船漁具等を悉く喪失した罹災民は俄に生活を支ふる収入の途を得るに至らず、其の困窮者に対しては尚ほ救護の必要を認め、更に政府米三千石を払下げ之に副食品等を加へ、四月一日以降七月十日救護事務を廃止するに至る百日間に於て左の如く配給した。

自四月一日至七月十日食糧品配給表
品名 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
白米 三、三八六 二、八五五 一、九五〇 四二一   八、六一二俵
蔬菜 一、五八〇 九九〇 七九〇 一九〇 一六〇 三、七一〇貫
味噌 五〇三 三二六 二五九 四〇 三九 一、一六七樽
醤油 五三五 二一四 二八〇 四七 五〇 一、一二六〃
漬物 六六 二八 三九 一〇 一四八〃
食料雑品 一九梱

●被服の配給

時恰も厳しい残寒の折とて、県は罹災民に対する被服の配給を最も緊急となし、直ちに罹災救助基金を以て之を調達する方針を執ったが、急速に大量調達の困難なるべきを慮り軍部に対して配給方を要請し、即日盛岡衛戍司令官より毛布三千三百五十枚、古外套一千五百五十着、襦袢一千枚を交付された。仍て救護総本部は之に県の調達に依るものを加へ震災発生後二十四時間内に左の如く配給した。

自第一次至第三次被服品配給表
品名 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
毛布 一、三七七 七七一 七九六 四一七 一六〇 三、五二一枚
靴下 一、一二八 八四五 七三九 三三二 三四八 三、三九二足
足袋 一、一一〇 八八八 七四六 二七二 二八四 三、三〇〇足
手袋 一、〇二〇   六七二 一五六 一六八 二、五八〇組
寝具 二五〇   六六七   二〇 九三七人分
衣類 四五〇点 三、〇〇〇点     二梱 二梱
六〇点 三、五一〇点
外套 三〇〇 五〇〇 二五〇 二〇〇 五〇 一、三〇〇枚
襦袢 一〇〇 一〇〇 一〇〇 一〇〇 一〇〇 五〇〇枚

次いで陸軍省より毛布並に外套七千着、盛岡衛戍司令部・歩兵第三十一連隊・騎兵第八連隊、野砲兵第八連隊・輜重兵第八大隊等より外套二千四百九十着、冬襦袢三千百七十枚、冬袴下四千七十枚、毛布一千二百六十枚を配給され、又大湊要港部の軍艦は四日早朝毛布一千六百四枚を、横須賀鎮守府の軍艦は同日午前十一時及び六日に毛布八千七百十・軍衣袴二万六千六百六十・襦袢六千六百七十・雨衣二千・被服梱七百五十七を沿岸の要所に配給し、又其の頃より県内外同胞の寄贈にかかる被服類は夥しい数に上ったので、県は専ら蒲団の調達に主眼を置き罹災救助基金を以て一万六千五百十一枚の蒲団並に毛布・足袋・手袋等を調達して配給したが、三月三日より七月十日迄に救護部に於て配給した被服品の総数は左の通りであった。

自三月三日至七月十日被服品配給表
品名 釜石方面 宮古方面 盛方面 久慈方面 岩泉方面
毛布 九、五三八 三、〇八五 一、三三〇 七四七 五〇一 一五、二〇一枚
寝具 一一、六四九 四、六二一 四、六七八 九五九 九六六 二二、八七三人分
衣類 一〇二、三八五 四九、六〇〇 六八、五三〇 一三、一七五 七、七〇一 二四一、三九一点
二〇〇   一五〇     三五〇個
外套 一、三〇〇 二、五二〇 二五〇 五〇〇 五七〇 五、一四〇枚
靴下 一、一二八 八四五 七三九 三三二 四二八 三、四七二足
足袋 六、九九九 三、三八八 三、一四六 九二二 六三四 一五、〇八九足
手袋 一、一七〇 一、〇六四 六七二 二七六 一六八 三、三五〇組

●建築材料の配給

不測の津浪と火災の為一瞬の裡に楽しき団欒の住家を失った四千三百戸、二万六千の罹災民にとって、衣類に次ぐ急要は住居の問題であった。仍て県は三月三日、被災地の仮小屋建築材料の配給を山林課に命じ、課員を盛岡市、沼宮内、福岡其の他十数ケ所に急派して在荷量を調査した結果約一千二百二十戸に対する材料供給の可能なるを確かめ、被害地の状況を参酌して配給計画を決定した。

●小屋掛材料の配給

  • 山田町 二〇戸分
  • 大沢村 一二戸分
  • 船越村 二六戸分
  • 合計 五八戸分

●罹災救助基金運用

震災の発生は恰も会計年度の末に当り余す所一ケ月に過ぎず、救護の為に運用すべき県予算額は甚だ少なかったが、石黒知事は罹災民救護の一刻も空しくすべき非ざるを慮り、英断を以て災後直ちに救護に要する諸物資の調査配給を命じ、翌くる四日は臨時県参事会を招集して取敢えず罹災救助基金中より二十六万九千百九十円の支出を議決し、六日其の配当額及び給与方法を決定して各罹災地町村長へ通知した。

然るに其の後、罹災地町村の実情に依って罹災救助金の給与を増給するの要を認め、合計五十二万一千五百九十五円を支出することとなり、町村配当額を別表の如く決定した。

罹災救助基金支出方法

一、避難所費

一ケ町村三〇円ノ範囲ニテ実費ヲ支払フコトトシ、町村長ヲシテ支払ヒヲ為サシムルコト

二、食糧費

二十九日分(三月三十一日迄)ヲ限度トシテ給与ノコト、但シ既ニ県ヨリ現品ヲ配給セルヲ以テ本基金ハ右代金ニ充当シ、町村長ニワ交付セザルコト

三、被服費

大人五円小人二円五十銭ノ半額ハ県配給ノ布団代ニ向ケ、残ル半額ハ現金ヲ以テ町村長ニ配当ノコト、尚布団代右ノ充当額ヲ超過シタル時ハ義捐金ヨリ支払フコト

四、治療費

本費ハ県ヨリ派遣セル救療班及ビ救療ニ従事セシメタル地元町村医並開業医ノ費用ニ充テ町村長ニハ配当セザルコト

右ノ中地元町村医又ハ開業医ヲシテ救療ヲナサシメタル費用ニアリテハ其ノ町村長ヲシテ請求書ヲ取リマトメ廻付セシムルコト

五、小屋掛費

要建設戸数中県ニ於テ建築材料ヲ供給セルモノニ対シテハ本費ハ配当セズ其ノ他ノモノニ対シテハ四十円宛交付スルコト

六、就業費

一戸当十五円ヲ現金ヲ以テ町村長ニ配当シ一応町村長ニ於テ保管セシメ就業ノ資財ニ対シテ政府ノ補助アル場合等ヲ考慮シ努メテ有利ナル費途(例ヘバ船ノ建造資金等)ニ充当セシムルコト、尚漁船流失ノミノ罹災者ニ対シテハ考慮スルコト

七、学用品費

一人当リ三円現金ヲ以テ町村長ニ交付シ町村長ハ小学校長ヲシテ準備セシメ各児童ニ夫々配付セシムルコト

八、運搬用具費

一ヶ町村五十円ノ範囲ニテ実費ヲ支払フコトトシ町村長ヲシテ支払ヲ為サシムルコト

九、人夫費

一ケ町村三十円ノ範囲ニテ実費ヲ支払フコトトシ町村長ヲシテ支払ヲ為サシムルコト

十、埋葬費

一人当四円ヲ町村長ニ交付シ町村長ヲシテ経理支払ヲナサシムルコト

罹災救助基金支出額科目別表
科目 予算額(円) 現金交付額(円) 現品交付額(円) 計(円)
一、避難所費 一、〇八〇、〇〇〇 五〇六、五〇〇   五〇六、五〇〇
二、食料費 一一六、八四五、〇〇〇 六、〇五〇、九五〇 九一、六九四、六一〇 九七、七四五、五六〇
三、被服費 一一一、〇〇〇、〇〇〇 八二、五六九、〇〇〇 三五、二八八、七一〇 一一七、八五七、七一〇
四、治療費 一一、四五〇、〇〇〇 一、五六四、五〇〇 二、一四四、九七〇 三、七〇九、四七〇
五、小屋掛費 一五二、〇〇〇、〇〇〇 八八、五一七、八六〇 六六、四七六、七八〇 一五四、九九四、六四〇
六、就業費 九七、五〇〇、〇〇〇 七八、九七六、一五〇   七八、九七六、一五〇
七、学用品費 一八、〇〇〇、〇〇〇 一一、四六五、七一〇   一一、四六五、七一〇
八、運搬用具費 一、八〇〇、〇〇〇 一、三二九、四〇〇 一九、九〇〇、五六〇 二一、二二九、九六〇
九、人夫賃費 一、〇八〇、〇〇〇 九八一、七〇〇 四、六〇六、九七〇 五、五八八、六七〇
一〇、埋葬費 一〇、八四〇、〇〇〇 一〇、三八〇、〇〇〇   一〇、三八〇、〇〇〇
五二一、九九五、〇〇〇 二八二、三四一、七七〇 二二〇、一一二、六〇〇 五〇二、四五四、三七〇
罹災救助基金支出額町村別表
下閉伊郡
町村 金額(円) 同上内訳
避難所費 食料費(円) 被服費(円) 治療費 小屋掛費(円) 就業費(円) 学用品費(円) 運搬用具費(円) 人夫賃費(円) 埋葬費(円)
小本村 五、二九七、〇〇〇   現品給与 七六二、〇〇〇   一、六四〇、〇〇〇 二、〇八五、〇〇〇 一八六、〇〇〇     六二四、〇〇〇
田野畑村 七、七七八、七六〇   一、四四一、〇〇〇   三、八四九、七六〇 一、八〇〇、〇〇〇 二七六、〇〇〇     四一二、〇〇〇
普代村 四、六四〇、五〇〇   四二八、五〇〇     三、五二五、〇〇〇 一四七、〇〇〇     五四〇、〇〇〇
宮古町 七四八、五〇〇   二三三、五〇〇 五、〇〇〇 一六〇、〇〇〇 二五五、〇〇〇 一五、〇〇〇     八〇、〇〇〇
山田町 三〇、六六五、九五〇   炊出 六、五九三、〇〇〇   一一、八四〇、〇〇〇 五、〇一〇、〇〇〇 九一五、〇〇〇 九〇、〇〇〇 一三五、〇〇〇 三二、〇〇〇
六、〇五〇、九五〇
船越村 一六、六〇五、七八〇   現品給与 四、〇三一、二〇〇 二五、〇〇〇 八、三九八、五八〇 三、四六五、〇〇〇 六六六、〇〇〇     二〇、〇〇〇
田老村 二八、五三一、四九〇 二五三、〇〇〇 六、九六四、五〇〇   一三、七〇一、五〇〇 三、七二〇、〇〇〇 三七二、四九〇     三、五二〇、〇〇〇
重茂村 五、三九一、九四〇   六九五、〇〇〇 六〇、〇〇〇 一、二一八、九四〇 二、四四五、〇〇〇 一四一、〇〇〇 一二〇、〇〇〇 六〇、〇〇〇 六五二、〇〇〇
津軽石村 三八八、〇〇〇   六八、〇〇〇   二三〇、〇〇〇          
崎山村 一、〇二一、〇〇〇   二二、〇〇〇 五、〇〇〇 四〇、〇〇〇 九四五、〇〇〇 九、〇〇〇      
大沢村 八、九五六、四〇〇   二、七二六、五〇〇   三、八八五、九〇〇 一、八三〇、〇〇〇 四五六、〇〇〇   五四、〇〇〇 四、〇〇〇
織笠村 四、三一五、九〇〇 二二、八〇〇 一、九六二、五〇〇   四四〇、〇〇〇 一、六二〇、〇〇〇 二一九、〇〇〇 一八、〇〇〇 九、六〇〇 二四、〇〇〇
磯鶏村 六、四九二、五〇〇   三、二七六、五〇〇 三〇、〇〇〇 九四〇、〇〇〇 二、二二〇、〇〇〇 一八、〇〇〇     八、〇〇〇
一二〇、八三三、七二〇 二七五、八〇〇 六、〇五〇、九五〇 二九、二〇四、二〇〇 一二五、〇〇〇 四六、四三四、六八〇 二八、九〇二、〇〇〇 三、四二〇、四九〇 二二八、〇〇〇 二五八、六〇〇 五、九一六、〇〇〇

(五)、医療救護

三月三日未明東海岸一帯に亘る津浪の報に接するや、県に於ては直ちに日本赤十字社岩手支部並に郡・市医師会と協力して救護班を編成派遣し、罹災地隣接町村の開業医及び県外より来援の救護班とともに罹災傷病者の医療救護に任じ、且つ自療用薬品、医療器具等を配給し、防疫保健に関し万全を期せしめた。

尚地元開業の三浦医院、関医院、松浦医院からは積極献身的な御奉仕が得られた。

医療救護班
救護班名 派遣場所 出発日時 班数 編成 備考
盛岡市医師会 下閉伊郡宮古町、重茂村、山田町、船越村 三月三日
午後零時三十分
医師二名 看護婦六名 六日医師ノミ引上ゲ
六日看護婦ハ田老村ヘ移動
赤十字支部 下閉伊郡山田町 三月三日
午前七時
医師一名 事務員一名 五日重茂村に移動
看護婦二名 更ニ十一日田老村ヘ移動
他府県ヨリ求援ノ救護班
府県別 班名 到着月日 派遣場所 班数 編成 備考
新潟県 赤十字支部 三月五日 下閉伊郡山田町 医師一名 看護婦三名 三月十一日引上ゲ

●薬品、衛生材料等の配給

医療救護及衛生施設に任じた県衛生課は災後直ちに医療薬品(解熱・鎮痛・鎮咳・袪痰剤・胃腸薬・消毒剤其他)並に衛生材料(ガーゼ・繃帯・脱脂綿其他)を調達して救護班及び救療に従事する開業医に配給し、尚地勢、交通、医師の分布等を考慮し、自療用薬品(解熱・鎮痛・胃腸薬・凍傷膏・鎮咳・袪痰剤・下痢止其他)及び自療用器具材料(検温器、吸入器、懐炉、綿ネル其他)を罹災地方民に配給し自療の普及徹底を図った。

●防疫

罹災の直後は伝染病患者の発生を見るを常とするに鑑み之が予防対策を講究し防疫職員を増員配置し、且つ特に警戒を要する罹災町村の開業医に防疫医務を在郷看護兵に防疫事務を嘱託して専ら予防撲滅の徹底を期した。又罹災地に於ける飲料水源は殆ど埋没破壊され、僅かに残存せる少数の井戸其の他の水源に之を求むるの実情に顧み、掘抜井戸用鉄管二千三百本、手押ポンプ二千三百箇を配給し、且つ技術員を派遣して飲料水質の検査、並に消毒の実地指導に当らしめ、各自浚渫消毒を励行せしむる等、意を注ぎ、更に感冒予防のためマスクを配布し、県令を以て臨時種痘並に臨時消毒方法の施行を命じ、且つ伝染病其他の免疫剤、井戸消毒剤等を配給した。

●保健

罹災者の死体処理に関して震災の直後関係各警察署長に通牒を発し、且つ疾患の予防其の他保健上必要なる事項の実行方法を指示する所あり、又母乳代用人工栄養品並に傷病者の食餌を配給して災禍の為母を失いし乳児、幼児及び傷病者の保健に留意し、尚保健に関する印刷物を配布し、食糧品配給並に合理的栄養摂取方法実地指導の為、栄養士を各町村に派遣し、罹災地町村の死亡者日報及び傷病者日報を徴し災害後に於ける罹災民の衛生状態を観察するなど保健上の万全を期している。

●岩手県震災地救療規程

第一条 本救療ハ昭和八年三月三日本県内震災ニ依ル罹災者ノ医療救護ヲ行フヲ以テ目的トス

第二条 本救療ハ総テ無料トス

本救療ヲ受クベキモノハ左ノ各号ノ一ニ該当スルモノニシテ所轄警察署長ノ作製セル要救療者名簿ニ登載セラレタル者トス

一罹災民ニシテ公費ノ賦課ヲ免除セラレタル者及其ノ家族

二前号ニ該当セザルモ震災ノタメ事実上困憊シ療養ノ資力ナシト認ムル者及其ノ家族

第三条 本救療ヲ行フ為警察部ニ左ノ有給吏員ヲ置ク

救療医 若干名

救療事務員 若干名

救療看護婦 若干名

第四条 前条ノ吏員ハ上司ノ命ヲ承ケ罹災地方ノ医療救護ニ従事ス

第五条 本救療ハ巡回又ハ医師ナキ村及医師アルモ面積広大交通不便ナル適当ノ場所ニ診療所ヲ設ケ出張シ診療スルノ外罹災地方郡医師会員、歯科医師、薬剤師及産婆ニ委託シ診療スルモノトス

第六条 委託診療ニ関シテハ済生会岩手県救療規程第五条乃至第十一条ノ規定ヲ準用ス

(六)、各種団体の救援

●市町村

強震に次いで残虐な津浪に襲われた東海岸一帯の町村は、災害の発生と共に期せずして自救自衛の途が講ぜられ、直接の被害を免れた消防組員、青年団員、在郷軍人等は時を移さず出動し相提携して罹災者の収容、死体の捜索、災害跡の整理等に懸命し、又町村当局は或いは急拠町村会を招集し或いは専決を以て、炊出しを行い救護事務所を設くる等臨機応急の措置を講じ、その救護に関し全力を傾注した。

又近傍の町村は津浪の情報を知ると同時に各種団体を罹災地町村に出動せしめ、且つ義捐金品を募集して送付し、遠隔の市町村は専ら義捐金品の募集に尽力し更に救援のためつとめて各種団体を出動せしめた。

●青年団

罹災地町村内の被害なき青年団員並に青年訓練所員は災後直ちに総員出動し消防組員、在郷軍人等と協力して救護其の他に尽力したが、県は更に多数の応援を必要とし、即日罹災地隣接の町村に対し、救援の為出動すべき旨を通牒し、尋いで翌四日県下市町村青年団長に対し食糧品、防寒具等を携帯して急遽応援方を命じた。

即ち盛岡市を始め各町村の青年団並に青年訓練所は能う限りに於て団(所)員を罹災現地に派遣し、是等派遣の団(所)員は所定指揮官の統率により、跡片付、道路修理、小屋掛、救護品配給、警備死体収容埋葬墓標建設等に従い残留の団(所)員並に女子青年団員は各種団体と共に義捐金品の募集に尽力した。

青年団出動表(山田町)
団体名 人員 日程 行先地 活動概況
小国青年団 二〇 自 三月五日 七日間 山田町 跡片付
至 同十一日
豊間根青年会 三〇 自 三月三日 八日間
至 同十日
一九 自 三月六日 二日間 大沢村
至 同七日
津軽石青年会 二六 自 三月七日 九日間
至 同十五日
織笠村青年会 三七 自 三月九日 二日間 船越村
至 同十日
千徳村青年会 一八 自 三月九日 三日間 山田町
至 同十一日
織笠村青年会 二三 三月十一日 船越村
刈屋村青年会 二九 自 三月六日 三日間 山田町
至 同八日
盛岡城南青年団 一一 自 三月四日 七日間 山田町
至 同十日

●在郷軍人会、消防組

罹災地町村の消防組、在郷軍人会は激震と共に警備の任に就き、津浪の際は危難を冒して避難、救護に従い、又近隣町村の場合は急遽組員、分会員を罹災現地に派遣し、警備、跡片づけ、仮小屋建築、救恤品運搬配給、死体捜索、道路補修等に尽力し、且つ義捐金品を募集して寄贈した。

消防組出動表
署名 組名 出勤日数 救援場所 救援事務ノ概要 出動組員数
組頭 小頭 消防手
宮古 山田 自町 罹災地整理、救護品運搬 一四〇 一四四
豊間根 山田、船越、大沢 〃〃   三七 三八
大沢 一二 自村 〃〃   一〇
織笠 自村、船越村 〃〃 三九 四二
船越 三〇 自村 〃〃 一六一 一六七
在郷軍人活動状況一覧表
郡市別 義捐金(円) 食糧 衣類(点) 其他(点) 出動延人員(人)
主食品(俵) 副食品(貫)
下閉伊 三三三、七〇〇 四一 二三〇 五八七 四〇三 一九、八六六

●日本赤十字社岩手支部

日本赤十字社岩手支部は震災の当日直ちに医師一名、書記一名、看護婦三名より成る救護班四を編成し、第一班は上閉伊郡釜石町に第二班は下閉伊郡山田町に、第三班は同郡小本村に、第四班は九戸郡種市村に派遣して遭難傷病者の救療に当らしめ、更に移動巡回診療を行ったが救護患者数は延人員四千二百十二名に達し、地方民の熱誠なる感謝の裡に四月一日迄に帰還した。

而して惨禍の報が全国に伝へられるや、少年赤十字団は健気にも哀れな罹災同胞少年の為に進んで義捐金品を拠出し、教科書、学用品、被服等四十八梱、八千六百二十六点を寄贈し来り、支部より県救護部を経て夫々罹災地へ送附した。

●愛国婦人会岩手県支部

半恒久的罹災地救済の一端として、其の被害の最も著しき部落約二十五ケ所に託児所を設置すべく、その経費として五月以降八ケ月分金二万七百弐十円を計上し、既に十九ケ所の開設を見、罹災民より非常な感謝を受ける。

本町関係は次の通り。

託児所開設一覧
託児所名 開設月日 閉鎖月日 場所 収容児童数 保母数
船越託児所 五月十六日 一二月一八日 小学校 一五五  
大沢託児所 五月二一日 一〇一
山田託児所 五月二二日 新設屋舎 二六〇

●岩手県教育会

岩手県教育会は三月七日、震災の救援に関し緊急理事会を開き、専ら教育関係の救援に当ることに決し、職員は月俸額の百分の一、生徒は五銭以上、児童は一銭以上の標準による義捐金を郡市部会長、支区会長並に中等学校長に依頼して募集し、尚他府県教育会へも其の応援を依頼した。又其の配給に関しては国費並に県の救恤と重複を避け、罹災学校長意見希望及び寄託者の意志を尊重参酌して、配当の公正を期した。又死亡教職員児童等に対しては最も厚く弔意を行い、生存者に対しては其の罹災程度及び経済上の地位等を参酌して差等を附し復興上の一助となるようにつとめた。

中等学校生徒中、父兄の罹災程度によって学用品費の一時的補給の外、一ケ年に亘り学資の補給をなす途を立て、中途退学のないように考慮し、卒業期迄数年に亘り学費の補給を必要とする者に就いては之に応ずる用意をなす等教育上の救援に全力を傾注した。

●帝国水難救済会岩手県支部

津浪の襲来と共に本部に軍艦派遣の要請方を電話し、所長以下の職員は自己の所有にかかる発動機船を悉く提供し、三月三日より九日に至る間、宮古港を中心に山田、田老、田野畑、小本の各港に出動し、人命の救助、死体捜索、救護品輸送、航路開拓等に従事した。

●新聞社

三月三日の黎明に近く県民九十余万の夢を駭ろかした激震に次いで兇濤一挙本県東海岸を襲うとの情報伝わるや各新聞社は通信機関の錯綜故障の際、有らゆる犠牲を払って惨害の情報を蒐集し、刻々号外或いは掲示を以て民衆に報道し全国民に訴へて義金を募り何れも多額を本県に寄贈した。

又東京朝日新聞・東京日日新聞の両社は三月三日午後飛行機を派遣して罹災地方を慰問し、次いで東京朝日新聞通信部長伊東圭一郞、東京日日新聞編輯顧問松岡正男の両氏は三月七日、東京日日新聞社員伊藤金次郞氏は九日各々多額の義金を携へて来県し、更に東京朝日新聞社は三月十八日土岐善麿氏以下三班の慰問使を罹災地方に派遣して救恤金を交付し、且つ震災記念碑建設費として二万六千二百三十円を県に寄贈した。

(七)、義捐金品募集分配

1義捐金品募集

震災に依る海岸地方の被害激甚の報に接し、石黒知事は即日北海道、樺太両庁長官、全国府県知事、朝鮮総督府政務総官、台湾総督府総務長官等に対し至急救援を乞う旨の電報を発し、次いで最も急を要する食糧被服、日用品等の供給に関し、挙県一致の応援に挨つべく内務、警察、学務各部長並に盛岡連遂区司令官、帝国在郷軍人会盛岡支部長、日本赤十字社岩手支部長、愛国婦人会岩手県支部長等の連名を以て、県下罹災地外の警察署長、市町村長、中等学校長、小学校長、青年訓練所主事、軍人分会長、消防組頭、日本赤十字社分区長、愛国婦人会委員区長、青年団長、女子青年団長等に対し金品の義捐を要望した。

而して義捐品の種目は食糧、寝具、衣類薪炭、日用品とし、盛岡市は同市役所へ其の他の地方は最寄警察署へ送付せしめ、又義捐金は総べて本庁会計課に於て直接受理し、且つ経理の正確を期するため、三月三日震災義捐金取扱規定を制定し取扱主任を任命して即日事務を開始した。

義捐金募集の議成るとともに県官吏吏員は高等官同待遇者俸給月額の百分五、判任官同待遇者以下月俸額の百分三の比率を以て率先三千円を義捐したが、漸次新聞、ラジオ等に依って罹災民の窮状が報道せらるるに及んで県内外の同情は翕然として集り、東京府五十二万円、満州国十一万円、大阪府六万円、本県及神奈川県各四万円、愛知県、京都府、千葉県各三万円を始めとして全国道府県殖民地より、或は遠く関東州、南洋、中華民国、印度、北米合衆国、南米、白耳義、伊太利、仏蘭西等より夥しい義捐金が寄贈され、県に於て受理した総額は百四十万六百三十九円九十一銭の巨額に達した。

而して右義捐金の募集に就き内務省社会局は最も其の斡旋に尽力し、各府県並に各種団体を激励して義心の喚起につとめ、又外国義捐金の収受を掌り、同局を経由して本県に送附された総額は二十七万六千余円である。

尚隣邦満州国執政溥儀閣下は深甚の同情を寄せられ、三月九日特に内帑より銀二万元(邦貨一万九千円)を義捐し、日本駐剳代表鮑観澄氏に命じて政府を通じ本県に一万四千四百円を寄贈された。

2義捐金の配分

罹災民の急要とする衣類、寝具、食糧等は県及び県内各地方、陸海軍等の救援によって迅速に配給されたが、更に県は義捐金の一部を以て生活必需品を購入調達して補給した。尋で県は八月一日に至り被害の程度、生活の緩急、生業の状態等を考慮して配分の要綱を決定し別表の如く罹災地各町村に分配した。

●義捐金配分の要旨

第一生業資金

罹災人口及び被害程度を参酌し、罹災者生業の資に充てしむるものにして、現金にて交付せず、郵便貯金、組合貯金の通帳、又は確実なる銀行預金通帳を以て交付し、町村長をして、その払戻しを監査せしむ。又此際産業組合新加入者及び水産販売購買利用組合員、住宅組合員に対しては其の第一回出資払込金を公営住宅利用者に対しては建築費寄附予定金を払込又は前納せしむることとし、町村に於て左記各項以外の施設を必要とする時は生業資金配当額の二割以内に於て罹災民又は町村会議員、復興委員会等の同意を得て其の施設費に充てることを得

第二生産施設援助

(一)水産業共同施設

町村長は管内の漁業組合をして其の施設に当らしめ、水産物の副業的製造加工処理設備(製造工場建築費並機械器具其他)に充てるものとする。

(二)養蚕業共同施設

町村長は管内養蚕実行組合をして其の施設に当らしむ。而して此の実施指導斡旋のため郡養蚕組合をして専ら之に当らしめ稚蚕共同飼育所の設置及乾燥機等の設備、稚蚕共同桑園の設置をなさしむ

(三)畜産共同施設

町村長は管内の農会、畜牛組合、養豚組合、養鶏組合等をして(一)種牛の購入(二)飼料共同調製所の設備(三)豚に関する共同施設をなさしむ

(四)林業共同施設

町村長は産業組合又は出荷組合等の共同経営をなさしめ、若し是等組合の設なき町村にありては速かに生産者を網羅する組合を組織せしめ、木炭共同仕別所及び桐苗養成共同苗圃を設置せしむ

(五)副業共同施設

町村長は産業組合をして(一)製莚機購入(二)農産加工場建設並運転資金助成、(三)共同裁縫所建設(四)藁細工共同作業所建設(五)藁細工器具購入等をなさしむ

(六)商工施設

町村長は産業組合をして(一)椿油製造工場建設並運転資金助成(二)ブラシ製造(三)桶、樽、籠、及び海産物容器類製造等の施設をなさしむ

(七)其の他の施設

叙上各生産施設の外更に施設を要する時は本配当金により計画を樹て県の承認を得て実施せしむ

第三死者の弔慰に関する援助

町村は遭難者の祭祀を絶たざる方法を講じ且つ毎年震災当日弔祭を行いて其の追憶を新にし災害防止の観念を換起せしむ

第四災害予防及備荒施設援助

(一)備荒林及防潮林苗圃の造成援助

備荒林は町村施業主体となり防潮林苗圃は町村若しくは町村の委託者をして経営せしむ

(二)備荒倉庫設備

町村は災害其他非常時に備へ且つ日常生活の調節に資するため備荒倉庫を設け、其の設備は配当金を三分し建築費、入庫金(米、雑穀、衣類、日用品等)運転資金に充てしむ

右の外医療及救護援助並災害予防及備荒施設援助として(一)医療施設(二)養老養育施設(三)託児所及授産施設(四)水難救済施設援助(五)津浪予報施設等は事業の性質上町村個々に行はず罹災地方全般に亘り統一的に行うは実効を挙ぐる所以なるを以て県又は団体をして実施せしむ

義捐金配分表
罹災町村 生業資金 生産施設 弔慰ニ関スル援助 備荒林及防潮林苗圃造成 備荒倉庫ノ設備援助
山田町 四三、九五二円 一五、〇〇〇円 二五〇円 五三五、六四銭 五、〇〇〇円 六四、七三七、六四銭
船越村 三一、七九〇 一二、〇〇〇 二五〇 七〇八、八九 三、五〇〇 四八、二四八、八九
大沢村 一五、一九三 四、五〇〇 二五〇 二二三、一三 二、〇〇〇 二二、一六六、二三
織笠村 三、六七七 五〇〇 二五〇 三八五、六八 一、三〇〇 六、一一二、六八
合計 九四、六一二 三二、〇〇〇 一、〇〇〇 一、八五三、三四 一一、八〇〇 一四一、二六五、四四
生業資金分配表
町村名 罹災人口割 被害割 合計
人口 七、五八六四毛 家屋全壊焼失流失数 一人当 同半潰数 一人当 同床上浸水 一戸当 死者行方不明者 一人当 負傷者 一人当
金額 九三、〇四八円 五五、八二九円 一三、〇二六円 一八、六〇九円 五、五八三円
山田町 二、一六八 一一、四四七円 二五二 二三、四四八円 五四 三、〇一五円 六一 七九五円 一三〇円 二一 一一七円 二七、五〇五円 四三、九五二円
船越村 一、四七六 一一、一九七 二一二 一九、七二六 一一 六一四 一一 一四三 九三 一七 二〇、五九三 三一、七九〇
大沢村 九七六 一、四二一 五九 五、四九〇 三四 一、八九八 二八 三六五 一九     七、七七二 一五、一九三
織笠村 四六五 三、五二八 九三         五六     一四九 三、六七七
合計 五、〇八七 二七、五九三 五二四 四八、七五七 九九 五、五二七 一〇〇 一、三〇三 一六 三〇〇 二四 一三四 五六、〇一九 九四、六一二
生産施設及災害予防施設計画表
罹災町村名 水産関係(円) 養蚕関係(円) 畜産関係(銭) 山林関係(銭) 副業関係(円) 商工関係 其ノ他(銭) 計(円) 備荒林及防潮林苗圃助成(銭)
山田町 六、五〇〇 四五 九九三、〇〇 三七五、〇〇 四、二〇〇 二六六、〇〇〇 二二七、〇〇 一五、〇〇〇 五三五、六四
船越村 五、八〇〇 一、六七〇 三三〇、〇〇   四、二〇〇     一二、〇〇〇 七〇八、八九
大沢村 三、三〇〇 一四五 九九三、〇〇       六二、〇〇 四、五〇〇 二二三、二三
織笠村 四一〇 九〇           五〇〇 三八五、六八
合計 一六、〇一〇 一、九五〇 二、三一六、〇〇 三七五、〇〇 八、四〇〇 二六六、〇〇〇 二八九、〇〇 三二、〇〇〇 一、八五三、四四
死者行方不明者弔慰ノ援助
町村 員数 弔慰ニ関スル施設援助費(円) 追悼費援助(円) 合計(円) 備考
山田町 五〇 二〇〇 二五〇  
船越村 五〇 二〇〇 二五〇  
大沢村 五〇 二〇〇 二五〇  
織笠村 五〇 二〇〇 二五〇  
合計 一六 二〇〇 八〇〇 一、〇〇〇  
備荒林及防潮林苗圃造成援助
町村名 備荒林助成 防潮林苗圃助成 助成配分額計(円) 備考
経費(円) 助成配分額(円) 経費(円) 助成配分額(円)
山田町 一、〇〇〇 五〇〇 七一、二八〇 二五、六四〇 五三五、六四〇  
船越村 一、二〇〇 六〇〇 二七、七九〇 一〇八、八九〇 七〇八、八九〇  
大沢村 四〇〇 二〇〇 四六、四六〇 二三、二三〇 二二三、二三〇  
織笠村 七〇〇 三五〇 七一、三六〇 三五、六八〇 三八五、六八〇  
合計 三、三〇〇 一、六五〇 二一六、八九〇 一九三、四四〇 一、八五三、四四〇  

○県配当義捐金処理を織笠村の場合を例にあげて、その一端に触れて見たい。

県配当義捐金出納簿(織笠村役場)

生業資金
月日 摘要 収入額(円銭) 支出額 残額(円銭)
八・八・一八 生業資金―金収入 三、六七七、〇〇   三、六七七、〇〇
八・八・ 三〇 罹災者 配給ズミ   二、七〇六、〇〇  
三一
九・三・一七 同右追加分   九、〇〇 九六二、〇〇
九・八・九 跡浜避難道路測量設計料払   二〇、〇〇  
一〇六・二二 桟橋製造場分配給   二〇〇、〇〇 七四二、〇〇
一〇・七・二五 跡浜避難道路用地代   五三四、四二  
一〇・一〇 一五   二四、〇〇  
一〇・一〇・一八   一七六、一〇 七、四八
  三、六七七、〇〇 三、六六九、五二 七、四八
  昭和十七年六月一日備荒倉庫費   七、四八  
  三、六七七、〇〇 三、六七七、〇〇 〇、〇〇
死者弔慰金
月日 摘要 収入額 支出額 残額(円銭)
八・八・一八 死者弔慰金収入 二五〇、〇〇   二五〇、〇〇
九・三・三 一週年追悼会 御布施五円遺族菓子
一円三五一般参列者菓子代五円五〇
  一一、八五 二三八、一五
一〇・三・三 二週年追悼会御布施五円
遺族、一般菓子代六円
  一一、〇〇 二二六、七五
一一・三・三 三週年追悼会御布施五円
遺族、一般菓子代三円五〇
  一一、〇〇 二一五、七五
一二・三・三 四週年追悼会御布施五円
遺族一般菓子代三円五〇
  八、五〇 二〇七、二五
一五・三・三 七週年追悼会御布施五円
遺族一般菓子代八円二五
  一三、二五 一九四、〇〇
  二五〇、〇〇 五六、〇〇 一九四、〇〇
生産施設援助金
年月日 摘要 収入額 支出額 残額(円銭)
八・一二・二 水産共同施設援助金収入 四一〇、〇〇   四一〇、〇〇
八・一二・二 養蚕業 同上 九〇、〇〇   五〇〇、〇〇
八・一二・二六 養蚕業分 田子木 礼堂   九〇、〇〇 四一〇、〇〇
九・一一・三〇 水産共同分漁業組合へ払   〇、〇〇 四一〇、〇〇
  五〇〇、〇〇 五〇〇、〇〇 〇、〇〇
備荒林費及防潮林苗圃費
年月日 摘要 収入額 支出額 残額(円銭)
八・八・一八 備荒林費収入 三八五、六八   三八五、六八
九・四・二七 杉苗木、津軽石村よりの運賃   二、八〇  
九・五・一九 杉苗木、植林の人夫賃   一二、八〇  
九・五・二八 杉苗木、当役場より山まで馬車賃   八〇  
九・九・七 杉苗木、三、八〇〇本代払   三八、〇〇 三三一、二八
一〇・四・二二 杉苗木、一五、八〇〇本
当役場より山まで馬車賃
  三、〇〇  
一〇・四・二九 杉苗木、植付人夫賃払   七五、一五 二五三、一三
一〇・五・三 杉苗木、大志田駅より織笠まで
運賃払い
  三四、二五  
一〇・七・三 杉苗木、一五、八〇〇本代払   一五八、〇〇 六〇、八九
一一・一〇・一五 杉苗植付監督日当   九、〇〇 五一、八九
  三八五、六八 三三三、七九 五一、八九
一二・一一・七 刈払監督員費用弁償
五月分 中村松之丞払
  七、五〇  
一二・九・三 刈払人夫賃十人分 大久保片蔵払   二、〇〇  
一二・九・二六 刈払監督員費用弁償二月分 中村払   四、〇〇  
一二・九・二六 同 三月分 田村払   六、〇〇  
一二・九・二六 同 二月分 小林払   四、〇〇  
  小計   二三、五〇  
  累計 三八五、六八 三五七、二九 二八、三九
一二・一二・七 刈払人夫賃
二十三人分 小林藤三郎 払
  四、六〇 二三、七九
  小計   四、六〇 二三、七九
  累計 三八五、六八 三六一、八九 二三、七九

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0193-82-3111
Fax:
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