復興まちづくり情報

第二節 三陸沿岸の惨害の状況

目次

  1. (一)海嘯襲来の概況
  2. 1.前兆
  3. 2.当日の模様
  4. (二)被害の状況
  5. (三)岩手県下海嘯被害地巡回記
  6. 1、日記
  7. 2、岩手県管内海嘯被害概数取調一覧表

故鈴木忠二郞氏(旧船越村長、船越小学校長)は自著三陸大海嘯記録に次のように記している。

(一)海嘯襲来の概況

1.前兆

海嘯前に於て種々の不吉なる前兆ありて東海岸を騒せり、本郡磯鶏村高浜にては此の歳の春より帆立貝・烏貝等甚しく繁殖し、又二十日許り以前には鰻海岸に群集し恰も安政三年の海嘯の前兆と酷似せりき。

気仙郡広田村小松駒次郞氏の談によれば、三陸沿岸には寒暖の二潮流ありて、寒流は親潮、暖流は黒潮といひ、例年春より秋に至る間は暖流の時季にて潮流が南より北に向ひ、又秋より冬にかけ寒流の期にて潮流は反対に北より南へ流る。然るに此の年は五月不思議にも暖流は五十七度乃至六十度を保ちて沖を流れ、六月初旬十海里以内は三十五度乃至四十二度の寒流勢力を占め、陸前国歌津村附近まで斯かる変調を呈せり、されば、鮪漁に出づるものは例年より遙かに沖合に出漁せざるべからざる有様なりきと。

又地球磁力の変動も各地の磁石計に感ぜり。即ち仙台にては六月十一日頃より水平分力及び偏角に多少の変化を起し、前日の十四日には特に著しき変動を示せり。

東京に於ても微弱なれど殆ど之れと同様の変動を呈したけれども、名古屋の磁力計には些の変調も無かりき。

三陸沿岸には数日前より到る処微震を感じ、猶当日津浪の襲来に先立つ事四十分、即ち午後七時二十分頃より海水夥しく干退し、又井戸水涸れたるもの多し。気仙郡只出、上閉伊郡両石地方にては俄然海水二十間程も減退し、重茂村千鶏にては六十間許り、九戸郡堀内にては二百間内外、宮城縣本吉郡にては三百間も突如海水減退せるため不安にかられ、逸早く山手に遁れたるものは命拾ひをなせり。

海水干退の距離は海の深浅に関係あり。上閉伊郡大槌須賀町の湧き水は二、三日前より止み、気仙郡越喜来村竜昌寺の井水も二日前に涸れたり、之れ地殼の変動により地下の水脈断絶、又は圧迫によるものといはる。

2.当日の模様

明治二十九年六月十五日は陰暦五月五日にて民間にては端午の節句にて休日なり。当日は朝より天候陰鬱朦朧として雨霧交々至り鬱陶しく三陸沿岸を罩め気温はいつになく高く八、九十度の間を往来せり。午後七時三十分地震を感じ尚数回小地震あり。同八時七分気仙郡沖合に当りて轟然巨砲の如き爆音あり、上閉伊、下閉伊、九戸の地方にては東南方に此の音を聞き、鳴響は盛岡を始め北上沿道の地方及び遠く山形、秋田地方へも聞へたりといふ。本村に於ては鮪漁期にて連日の大漁なれば当日は休業して祝盃を挙げつつありしなり。

六月十五日午後八時二十分、物凄き爆音歇みて数分ならざるに狂瀾天を衝き、怒濤地を捲きて我が三陸沿岸を襲ふ

宮城県本吉郡以南の地方にては数分前東北に鳴響を聞き、気仙郡沿岸にては同時に津浪来り爾後六回の津浪と十三回の地震あり。南は牡鹿郡志津川より北は青森県下北郡泊に至る三陸百里一帯の沿岸其の災害を被らざるなく、就中気仙郡吉浜、本郡田老最も惨害を極む。昨日までの家屋櫛比の市街も今は平砂荒凉の巷となり、惨胆悽愴実に戦慄鳴咽を禁じ得ざる状態を呈せり。

(二)被害の状況

南金華山より北尻屋岬に至る沿岸僅か一瞬時にして二万二千の生霊を葬り、四千五百の負傷者を出し、家屋の流失破壊一万三千、流失橋梁二百八十四、船舶五千七百二十、其他堤防の欠潰、道路の破損、埋没、田畑の浸害、波止場の破損等実に莫大なりき。

三県下の被害は左の如し

宮城県

死亡 三千四百五二
負傷 一千二百四十一
流失橋梁 四十六
船舶 一千百四十五

青森県

死亡 二百九十九
負傷 二百十四
流失橋梁 四
船舶 百二十二

岩手県

死亡 一万八千百五十八
負傷 二千九百四十三
流失橋梁 二百三十四
船舶 四千四百五十三

合計

死亡 二万一千九百九
負傷 四千三百九十八
流失橋梁 二百八十四
船舶 五千七百二十

(三)岩手県下海嘯被害地巡回記

日本キリスト教団、水沢教会牧師、相沢乕次氏は、東北閉伊郡救済委員として、当地方に派遣され、罹災者の慰問に当るかたわら、被害の状況に留めた。

現釜石図書館長昆勇郎氏(当町織笠出身)は偶々釜石在住の相沢氏近親の方から、右記録を借用し、コピーにおさめておられた

この貴重な記録を、ここに掲載できたのは、ひとえに、同氏の御厚意によるものである。

1、日記

明治二十九年九月記之相沢乕次記

気仙郡唐丹ヨリ東閉伊織笠マデ小林茂兵エ氏三浦徹氏

東閉伊郡山田ヨリ北閉伊郡田野畑マデ杉原成義氏相沢乕次氏

北閉伊郡普代ヨリ北九戸郡種市マデ中島力三郞氏

八月二一日

早朝金ケ崎出発岩谷堂ニ至ルヤ雷鳴強雨馬背ニヨリテ人首ニ至ル昼食ヲ喫シ単身徒歩有名ナル碁輪峠ヲ越テ遠野ニ至リ宿泊セリ

翌二二日  早朝出発馬背ヲ賃シテ和山峠ヲ越ヘ和山宿ニテ昼食ヲナシ強雨ヲ冒シテ大槌町ニ至リ宿泊セリ。此地ニ至リ初テ罹災ノ実情眼底ニ映ジ家屋ノ流失人生ノ死亡田畑ノ荒蕪等甚ダシキヲ見ル

翌二三日  早朝出発浜海道ヲ馬背ニテ通リ海岸ニ至ル処ノ町村被害ノ甚ダシキヲ見ツツ特ニ船越ノ如キ非常ノ損害ナリ正午少シ前山田町ニ至リ昼食ヲ喫シ夫ヨリ津軽石ヲ経テ宮古ニ到着セリ同町ニテ委員杉原氏ト会合ノ約束ナリシヲ以テ同氏ノ宿泊所ヲ尋ネタルニ同氏ハ北方田老小本田野畑等ニ向ヒタル由ニ付、翌朝出発小本ニ於テ落合ヒ種々相談致シ且ツ同宿セリ、北方ハ略ボ救済終リタルヲ以テ宮古ニ引返シ再ビ南方ニ向ヒ巡回スル筈ニテ杉原氏ハ馬ニテ二五日宮古ヲ出発小生ハ同日丈小本ニ滞在、二六日出発宮古ニ向ヒ同氏ト落合フ筈ナリ宮古ヨリ北方ニテ特ニ被害ノ甚ダシキハ田老ニテ三百有余ノ戸数アル村ニテ一戸モ不残流失セリ、死亡者非常ニ多ク釜石町ヲ除キテハ岩手県下第一ノ被害地ナリ

小本、崎山、田野畑等ノ被害又甚シキヲ見ル且又道路ノ険悪ナル非常ナルモノニシテ通行ノ困難甚ダシカリキ

二六日  早朝小本出発宮古ニ向ヘリ此日朝来風雨烈シク為ニ沿道ノ川々洪水ニテ通行非常ニ困難セリ特ニ田老川ノ如キ非常ノ洪水ニテ落橋為スニ危険ヲ冒シテ徒渉セリ急流腰部ニ至ルモ幸ニシテ無事彼岸ニ達セリ夫ヨリ崎山村被害地ヲ通リ村役場ニ至リテ被害ノ実況ヲ調査致シ午後五時頃無事宮古菊清方ニ到着セリ同宿ニハ杉原君並ニ石井某余ノ三人ナリキ予メ同宿屋ニハ斎藤源五郞氏小泉某氏盛岡美以教会ノ信徒タルモノ下宿シアリテ交接シタリキ

翌二七日  晴天宮古町治療所ヲ訪問セリ同所ハ海嘯被害民ヲ治療ノ為メニ設置セルモノナリ目下患者十七名内重傷者五名生死覚束ナキモノナリ余等ハ工藤事務員佐々木医員ノ懇篤ナル案内ニテ各患者ニ反物一反ツツヲ贈リ且ツ簡単ナル慰問演説ヲナセリ皆々大ニ満足ヲ表セリ夫ヨリ鍬ケ崎町役場ニ至リ同町被害ノ実況ヲ調査セリ予メ尤モ憐ムベキ孤児等ニ反物ヲ贈レリ

二八日  大暴風雨ニテ宮古町ニ滞在セリ大雨ノ為メ宮古川大洪水ニテ堤防決潰家屋ノ浸水スルモノ夥シク町内大騒動ナリキ

二九日  午後一時頃出発磯鶏村ニ至リ役場ニ就テ罹災民ヲ調ベ其ヨリ鰥寡独孤ヲ初メ極貧窮者ニ反物ヲ贈リタリ予メ同村内高浜金浜ニ至リ同ジク慰問品ヲ贈レリ後五時頃津軽石ニ至リ投宿シケリ郡書記工藤清次郞氏モ同宿種々快談セリ

三十日  早朝工藤氏モ同行三人連レニテ(工藤氏ハ郡用ニテ重茂村役場行)高浜ニ行キ片舟ヲ賃シテ白浜ニ至リ夫ヨリ徒歩重茂村ニ至ル

先ツ村役場ニ就キ被害ノ実況ヲ調査シ村内ノ海岸地里ヨリ音部二ケ所ニ至リ罹災民ヲ集メテ慰問品ヲ贈リ且ツ趣意ヲ陳述セリ

此日亦雨ニ遇ヒ白浜ニ引キ返リテ同地ノ罹災民ニ慰問品ヲ贈レリ夫ヨリ舟ニテ津軽石ニ帰リ投宿セリ

三十一日  大暴風雨ヲ冒シテ山田町ニ出発途中山路ニ迷フテ大ニ困難セリ且ツ津軽石川豊間根川大洪水ニテ橋梁落チ山道ヲ迂回シテ一方ナラズ困難セリ後一時頃無事山田町ニ到着セリ其日朝来地震甚シク震動特ニ後五時頃非常ニ強烈ナル震動アリタリ余ノ生レテ以来ノ大地震ナリキ山崩レタルアリ地裂レタル処アリ土蔵ノ壁落チタル処アリ家屋ノ損傷少カラザリキ特ニ沿海ノ人民ハ六月十五日ノ海嘯ニ懲リ居ルモノカラ地震ヨリモ又々津浪ノ襲来アラント速了シ町内ノ騒動非常ニテアリキ

老翁老娼ノ杖ニヨリテ逃グルアレバ壮者ノ肩ニヨリテ走ルアリ或家財道具ヲ片付ケ飲食物ヲ用意シテ寺院ヤ学校ニ引籠レリ恰モ戦争中ノ避難斯ヤアラント思ハレタリ其夜中寝所ニ入ルモノトテハ一人モナク皆々逃ゲ仕度ヲナシテ不寝番セリ

幸ナル哉松島千代田扶桑済遠ノ四軍艦山田港ニ碇泊シアリテ若シ海嘯ノ襲来モアラバ直チニ大砲ヲ放ッテ通告スル故安堵セヨトノ言触レアリタルヲ以テ初テ皆々安堵ノ思ヲナセリ其日一昼夜十七回震動セシモ別段ノ大被害モナク特ニ海嘯ノ襲来モナカリシハ幸ナリキ

九月一日  山田町役場ニ就キ被害ノ実況ヲ調査シ且ツ大沢村役場ニ至リテ調査致シ慰問品ヲ分与且ツ趣意ヲ陳述セリ是レニテ余等ノ巡回任務ハ終レリ鳴呼余等ハ取ルニ足ラヌ身ヲ以テ重大ナル救済ノ委員ヲ托セラレ果シテ其任務ヲ尽セルヤ否ヤ大ニ恐ルル処ナリ只善処皇天ノ恩恵ト天下同胞ノ義俠トヲ説キ併セテ余等満腔ノ同情トヲ以テ彼等ヲ慰問シタルノミ鳴呼皇天ノ冥助感謝ニ堪ヘズ

其日午後四時頃杉原氏ト同行碇泊ノ軍艦ヲ見ル、二日杉原氏ニ別レ帰途ニ就ク

2、岩手県管内海嘯被害概数取調一覧表

明治二十九年六月二十九日調

岩手県管内海嘯被害概数取調一覧表
郡町村名 人口 戸数
人口 死亡 負傷 健在者 戸数 流失家屋 半潰家屋 存在家屋
気仙郡 気仙村 三、六五一 二三 一〇 三、六一八 五六九 三五 一六 五一八
高田町 三、四八九 未詳 三、四八六 六一六 未詳 未詳 六一六
米崎村 三、四六〇 一二 三、四四六 三五〇 一一 五〇 二八九
小友村 二、五一九 二〇三 二九 二、二八七 三八一 六七 三〇九
広田村 三、一〇二 五〇〇 一一 二、五九一 四六九 一六三 未詳 三〇六
末崎村 二、九六五 六〇六 三〇 二、三二一 四〇〇 一九一 未詳 二〇九
大船渡村 二、三〇四 七八〇 三五 一、四八九 三〇六 一〇五 三〇
赤崎村 二、九八五 四四八 六八 二、四六九 三八九 一七二 未詳 二一七
綾里村 二、八〇三 一、四五八 五九 一、二八六 四五一 二八五 一〇〇 六六
越喜来村 二、四四九 四一一 六〇 一、九七八 三二二 一一三 一二四 八九
吉浜村 一、〇七五 二一五 八五一 一三三 三二 三三 六八
唐丹村 二、八〇七 二、一〇〇 二〇 六八七 四七四 三四一 一三〇
三三、六〇九 六、七五九 三三三 二六、五一七 四、八六〇 一、五一五 三六一 二、九八四
南閉伊郡 釜石町 六、五五七 四、〇四一 六三六 一、八八〇 一、二二三 九八九 未詳 二三四
鵜住居村 三、一四七 一、〇六九 一九〇 一、八八八 五一一 三五〇 未詳 一六一
大槌町 六、五五五 六〇〇 一一八 五、八三七 一、一九二 二七七 未詳 九一五
一六、二五九 五、七一〇 九四四 九、六〇五 二、九二六 一、六一六 未詳 三一〇
東閉伊郡 船越村 二、二九五 一、三二七 七〇一 二六七 四七四 三七一 一〇二
織笠村 一、八〇〇 六七 五〇 一、六八三 三〇三 一〇五 二五 一七三
山田町 三、七四六 一、〇四〇 一五〇 二、五五六 七八二 三五九 二五〇 一七三
大沢村 一、〇三六 五五〇 五九 四二七 一九九 一九六 未詳
重茂村 一、四九三 七〇〇 三三 七六〇 二三六 一五九 未詳 七七
津軽石村 二、六一八 二、六一四 四三四 未詳 四二六
磯鶏村 一、九九六 九〇 五四 一、八五二 三六五 一〇九 未詳 二五六
鍬崎町 三、四五九 一〇〇 三三 三、二二六 七〇一 三〇〇 三〇 三五一
宮古町 五、一五七 一二 未詳 五、一四五 九九三 二〇 未詳 九七三
崎山村 九八一 一六〇 一二 八〇九 一五五 四五 一〇一
田老村 三、七四七 二、六五五 二七七 八一五 六六六 一三〇 未詳 五三六
二八、三二八 六、七〇四 一、三七〇 二〇、二五四 五、三〇八 一、八〇二 三三五 三、一七一
北閉伊郡 小本村 二、〇九〇 三六七 二五七 一、四六六 三八六 一五六 一四七 八三
田野畑村 三、〇二五 三〇三 一五 二、七〇七 四六五 四七 四二 三七六
普代村 二、〇三八 一、〇一〇 一五三 八七五 三三〇 九五 四九 一八六
七、一五三 一、六八〇 四二五 五、〇四八 一、一八一 二九八 二三八 六四五
南九戸郡 久慈町 四、〇九二 一七五 一〇〇 三、八一七 六五七 三四四 未詳 三一三
宇部村 二、二四四 一八九 八四 一、九七一 三二八 四八 未詳 二八〇
野田村 二、五九〇 二六一 六二 二、二六七 四一一 一三八 未詳 二七三
長内村 二、七一九 二二 二、六九四 四七二 一七 未詳 四五五
夏井村 一、八〇三 四一 一、七五六 二六五 一六 未詳 二四九
一三、四四八 六八八 二五五 一二、五〇五 二、一三三 五六三 未詳 一、五七〇
北九戸郡 侍浜村 一、三九七 二三 一、三七一 一八五 未詳 一八一
中野村 一、六九五 六五 一八 一、六一二 二二八 一三六 未詳 九二
種市村 四、六八二 一八二 三四 四、四六九 六五五 八一 未詳 五七四
七、七七七 二七〇 五五 七、四五二 一、〇六八 二二一 未詳 八四七
合計 一〇六、五七四 二一、八〇一 三、三八二 八一、三八一 一七、四七六 六、〇一五 九三四 一〇、五二七

備考人口戸数ハ警察署ノ戸口調査表ニヨル被害数ハ確報到達次第訂正スルヲ以テ時ニ増減スル事アルヘシ

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総務課 情報チーム 文書・広報係

電話:
0193-82-3111
Fax:
0193-82-4989

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