18世紀の中頃に、網を使用したイルカ漁が大浦という地区で始まりました。
 これは湾に入ってきたイルカを追い込み、網で捕獲する「追込網」という漁法で、大正時代まで約200年の間続けられました。大正2年には、2000〜3000頭という大量のイルカがとれたと伝えられています。
 山田町ではイルカ漁の他に、オットセイ猟、トド猟も行われていました。オットセイは毛皮や食用として、トドは食用にされていました。
 三陸沖のイルカは、四季を通じて回遊しています。その種類はマイルカ、スジイルカ、カマイルカ、セミイルカ、ネズミイルカ、リクゼンイルカなどです。
 大浦のイルカ漁では、リクゼンイルカ、マイルカ、ネズミイルカなどが捕獲されていました。

戦後はじまった山田の捕鯨
写真提供
日東捕鯨KK
 山田町で大型のクジラをとる捕鯨が始まったのは、大沢地区に日東捕鯨株式会社という会社ができてからです。日東捕鯨は昭和24年に農林大臣から大型捕鯨の許可を得て、マッコウクジラ、イワシクジラの捕獲を始めました。その後は、シロナガスクジラ、ナガスクジラ、ザトウクジラの捕獲も行い、昭和29年には160頭が山田に水揚げされています。その後はマッコウクジラの捕獲が主体となり、昭和52年にはマッコウクジラだけで893頭もの水揚げがありました。
  IWCによる規制により商業捕鯨が禁止になり、昭和62年マッコウクジラ87頭、ニタリクジラ5頭の捕獲を最後に山田の捕鯨は幕を閉じました。
国際捕鯨委員会(International Whaling Commission; IWC)
 IWCは全世界の捕鯨業と大型鯨類を管理する世界的な機関です。この機関が大型クジラの保護や捕獲頭数を決めます。専門家の加藤秀弘博士(遠洋水産研究所鯨類生態研究室長)に説明をして頂きました。少し難しいかもしれませんが、詳しいことを知りたい人は読んで下さいね。[IWCとは?

〈捕鯨砲〉
 当町大沢地区にあった「日東捕鯨」で実際に使われていた捕鯨砲の実物です。日東捕鯨は昭和60年代まで沿岸捕鯨を中心に操業し、多い時で年間300頭以上の鯨を捕獲したそうです。
 鯨と海の科学館には、口径90ミリ、50ミリ、三連式の3門を展示しています。
世界と日本の捕鯨業の歴史を知りたい方は「マッコウクジラの自然誌」(加藤秀弘 著 平凡社)第一章などをご覧下さい。