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山田町の主なあゆみ

山田町の主なあゆみ

町内で発掘された遺物・遺構から見ると、縄文時代早期約6,500年前には、人々が生活していたと思われる。

町のあゆみ
715年(霊亀元年) 蝦夷の“須賀君古麻比留”が、「閉村に郡家を建てて下さい」という記述が『続日本紀』にあり、この頃には当地方にも国政が及んでいたことが推測される。
1643年(寛永20年) 山田湾にオランダ船ブレスケンス号が水・食料を求めて入港するが、オランダ人10名が南部藩に捕らえられ江戸に護送される。
1735年(享保20年) 南部藩の領内が33通りに整理され、豊間根地区は宮古代官所の管轄に、大沢・山田・織笠・船越地区は大槌通りとなり大槌代官所の管轄になる。
1868年(明治元年) 陸奥国は分割され、当地方は陸中国に属すことになる。
1889年(明治22年) 市町村制実施。飯岡村・山田村は合併し山田町となる。豊間根村・大沢村・織笠村・船越村が誕生する。
1896年(明治29年) 三陸沖を震源とする地震、大津波が発生。本町の死者は約2,950人、負傷者は約1,370人。その他、家屋の流失や全壊等多くの被害を受けた。
1933年(昭和8年) 三陸沖を震源とする地震、大津波が発生。本町死者・不明者は18人、負傷者は12人。その他、家屋の流失や全壊等多くの被害を受けた。
1935年(昭和10年) 国鉄山田線-盛岡駅~陸中山田駅間が開通。
1948年(昭和23年) 県立山田高等学校創立。
1950年(昭和25年) 県立山田病院開設。
1955年(昭和30年) 山田町・豊間根村・大沢村・織笠村・船越村の一町四カ村が合併し、新山田町が誕生する。
1960年(昭和35年) チリ地震津波襲来。幸い死者は無かったが、多くの家屋の流失や全壊、床上・床下浸水等の被害を受けた。
1965年(昭和40年) 大沢・山田・織笠・船越中学校が統合して、新山田中学校が開校。
1969年(昭和44年) 織笠大橋開通。
1980年(昭和55年) 名誉町民鈴木善幸先生-第70代内閣総理大臣に就任。
2000年(平成12年) オランダ王国ザイスト市と友好都市締結。
2002年(平成14年) 三陸縦貫自動車道山田道路開通。
2005年(平成17年) 合併50周年記念式典を開催。
2006年(平成18年) 県立山田病院が柳沢地区に移転開院。
2008年(平成20年) 鈴木善幸元内閣総理大臣像を町中央公民館前に建立。
2011年(平成23年) 東日本大震災。大津波が発生。本町の死者・不明者は825人。その他、家屋の流出や全壊等多くの被害を受けた。
2011年(平成23年) 山田町復興計画を策定。
2014年(平成26年) 東日本大震災により被災した船越小学校新校舎が完成
2016年(平成28年) 県立山田病院(新築)が飯岡地区(山田中学校隣)に移転開院。
2016年(平成28年) 希望郷いわて国体高校野球(軟式)競技開催。
2016年(平成28年) ふれあいセンターが開館
2019年(平成31年) 三陸鉄道リアス線が開業

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