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 ◎【平成28年】町長室から 〜広報やまだ「町長室から」掲載記事〜


平成28年12月1日  
 
 先日、山田高等学校の創立90周年記念式典が開催された。同校は大正15年に山田高等学校女学校として創立され、以来多くの人材を輩出してきた。記念講演をなさった小岩清水先生もその一人である。講演では、これまでの歴史を振り返り、当時の高等教育によって食文化が変わり、カレーライスが世に広められたというエピソードを話された。
 専門が地理ということで、自身が取り組む震災の研究にも触れられ、慶長13年の津波は東日本大震災のそれに匹敵する規模で、大浦と小谷鳥の間にある通称「水境」を越えたとのこと。今回の津波も、流木等に遮られたものの実際には越える大きさだったという。
 船越小の児童らを避難させた田代さんも「船越大島から弁天島のラインを波が超えたら大津波だ」とする先祖からの家伝に従ったという。先人の教えが時を越え、大災害から尊い命を救ったのだ。  
 

 
平成28年11月1日  
 
 希望郷いわて国体へのご臨場と併せ、被災地の復興状況ご視察のため、天皇皇后両陛下が約20年ぶりに本町へお立ち寄りになられ、沿道に詰め掛けた多くの町民が出迎えた。時折小雨の降る中、その様子をご覧なられた両陛下も終始笑顔でお応えになられていた。庁舎に御着きになられた両陛下に震災当時の様子などをお話しさせていただき、その後、両陛下との会食にも同席させていただいたが、「このような大役がよもや私に巡ってこようとは」との思いであった。とても和やかな雰囲気で会食が進む中、料理に使われている岩手県産食材の話題になり、今年はマツタケが豊作であることを陛下にお伝えすると、それはよかったとお喜びになられた。両陛下が交わされる穏やかな会話に同席者からは自然と笑みがこぼれ、お二人のお人柄にただただ魅了させられたひとときであった。
 

 
 平成28年10月1日  
 
 蝉しぐれが、涼しげな虫の音に変わった。秋の到来である。この時期は梅雨前線の影響と台風とが相まって、時として大雨をもたらす。以前と比べ年間降水量は変わらないそうだが、降る時には一気に降るような気候に代わってきているという。台風10号がそうであった。被災された岩泉の方々には心よりお見舞いを申し上げたい。
 今村復興大臣と山田で昼食を共にする機会があった。その折大臣に「東北は雨には脆弱と思われたでしょうが、このことは大臣の古里佐賀県で20センチの積雪があったことと似ている」と申し上げたらうなずいておられた。災害が発生するたびに、住民が公的情報に頼りすぎてはいないだろうかと思う。社会的弱者には公的支援が必要だが、そうではない方々は常に自分の生命は自分で守るという意識が希薄になってはいないだろうか、心配である。
 

 
 平成28年9月1日
 
 お盆は多くの知己と再会する楽しい期間でもある。そして、帰省客の楽しみの一つが商工会青年部の主催する山田の花火大会である。今回が10回目だという。震災の年は多くのご意見がある中で継続されてきたという経緯がある。あれだけの花火を打ち上げるためには、相当な資金が必要である。幾人もいない青年部員の努力を思いながら鑑賞すると、どこの花火よりもより一層山田の花火が美しく見える。町中に轟く音と放たれる光は、山田で生きる青年たちのエネルギーの発露にも思える。反面、花火にはもの悲しさも感じられる。大輪が歓声とともに静かに消えてゆく。砂浜には人影もなくなり、山田の短い夏の終わりがそこまで来ている。感傷に浸っていると、どこからともなく祭り囃子が聞こえ始める。すると先ほどまでの寂しさが影をひそめ、希望が湧いてくるのである。



 平成28年8月1日
 
 まもなくリオオリンピックが始まる。人類の平和、そして世界の平和のために開催されるものである。私が小学生の頃、東京オリンピックが開催された。世界にはこんなに多くの人種があるのだと感じた。肌の色や言葉、宗教などの違いも初めて知った。出場する選手全員が、スポーツを通じ同じルールのもと金メダルを目指し頑張る姿に感動を覚えた。4年前の中国開催は、私が町長になって間もなくの頃だったが、疲れて帰宅したときなど、選手のひたむきさに元気を頂いたものだ。これがスポーツの力である。
 最近、国家ぐるみの薬物使用が報道されている。これが真実であればルール違反、レッドカードである。国際法を無視する国が出てきたということが、世界が今直面している問題である。戦後70年、人類はもう二度と同じ過ちを繰り返してはならない。
 

 
 平成28年7月1日
 
 ふる里山田同郷の会総会が12日、東京都で行われた。昨年を消防演習と重なり参加できず、2年ぶりの参加となった。今回は30周年の記念すべき総会である。席について間もなく周りを見渡すと、出席者の中に30年以上会っていない同級生の顔があった。なかなか祭りの時期に帰郷できず、今回アトラクションに出演した八幡大神楽を楽しみにしていたようだ。
 もう一人、40数年ぶりにお会いした方もいた。その方は昔、龍昌寺にいたお弟子さんの一人で、私は自宅が近かったこともあり一緒に寺の床掃除などをしたこともあった。私には遊ぶ時間もあったが、お弟子さんたちは自由な時間がかぎられていたようだ。冬休みには寒修行と言って托鉢をしていたものである。その方は苦学の末大学に入り、現在は証券会社の監査役を務めている。ふる里会の時だけは時間が止まる。
 

 
 平成28年6月1日
 
 春は生命の息吹がいたるところにあふれ出る。つい先日まで木々は寒そうであったが、日増しに緑の衣を身にまとってゆく。新緑は二酸化炭素を大量の酸素に変えてくれる。この季節の空気がおいしく感じるのは気のせいだろうか。小鳥のさえずりも合唱を聞いているようである。雑草は取っても取ってもいつの間にか以前より勢いを増している。生命が躍動する音が聞こえる。
 足元にはたくさんの蟻が歩き回る。何時ぞや子供が公園で立ち往生していたという。どうして動かないのだろうと思い尋ねると、足元に蟻がたくさんいて歩くと踏みつけることになるからだという。なんと微笑ましい話だろうと思ったものである。私たちは生きていることによって、知らないうちに何かを踏みつけていないだろうか。常にこのことを考えながら行政運営に携わりたいものである。
 

 
 平成28年5月1日
 
 4月13日、ふる里山田同郷の会の皆様が「すしキャラバン隊」として関谷地区を訪れた。震災以降続けられているもので、埼玉の寿司職人さんによる心のこもった寿司など400食が振る舞われた。職人さんの鮮やかな手さばきもさることながら、ネタもマグロのトロを中心に、本格的なものばかりである。「遠く故郷を離れてもなお、山田のことが心配で少しでも力になりたい」と小川会長はいう。
 6月には同会の総会が東京で開催される。毎年、故郷の近況を知ろうと多くの会員が集まっている。今年は設立30周年の記念すべき総会であるが、会に花を添えるべく、八幡大神楽の皆さんが進んで参加してくれるという。伝統の舞を通じ、会員の皆様方に元気な山田をお見せしたい。響き渡るおはやしに、故郷の古き良き思い出と、新しい山田の未来を感じていただきたいと思う。
 

 
 平成28年4月1日
 
 山田中学校の卒業式に出席した。15の春は多感で、子どもとも大人ともつかない年頃である。心には常に、希望と不安が入り混じっている。義務教育を修了しそれぞれが違った道へと進むこの時期は、希望よりも不安の方が大きいのかもしれない。
 卒業式が始まると、何人かの元気のいい生徒だろうか、少しざわつきがあると感じた。街で会うと話しかけたりもする生徒たちで、私は彼らをよく知っていた。
 式はそんな雰囲気の中粛々と進んでいく。最後の卒業生による合唱が始まった。その子どもたちを見ていた。歌いだしこそ体をゆすったりポケットに手を入れたりしていたが、後半に差し掛かった時、彼らは涙を流し始めた。退場の時は、担任に向け大きな声で「いろいろとありがとうございました」と感謝を述べた。清々しい涙が、彼らを見送る私の頬にも流れていた。



 平成28年3月1日
 
 いよいよ弥生三月である。ことしの冬を振り返ってみるといつもと違うと感じる。私が子どもの頃は、冬休みともなると凍った田んぼでスケートをしたり、ソリをしたりの毎日であった。2月は春雪と称して大雪が降るものである。湿気を多く含んだ重い雪で、着雪した電線が大きくたるんだり、杉の木などは枝が折れる被害に見舞われる。
 一方、ことしは2月の最高気温が20度近くまで上がり、4月並みの温かさとなった。当然雪ではなく雨が降る。このような2月を私は経験したことがない。山田町は昔から2つの災害に繰り返し見舞われてきた。津波と、山田弁でいう「けかず」、つまり日照不足や日照りによる飢饉(ききん)である。しかし人々は、農業技術の進歩や化学肥料などの開発により飢饉を克服してきた。津波も今回の復興事業で克服したい。我々はつくづく自然の中に生かされていると感じる。



 平成28年2月1日
 
 正月三が日は大変穏やかな模様でありました。このような暖かい正月は私の記憶にありません。
 さて、5年前の震災当時に中学校を卒業した方たちが、1月10日に成人式を迎えました。対象者216名中184名が出席し、厳粛な雰囲気の中、新成人代表の素晴らしい宣誓のもと滞りなく式典が進みました。私はあいさつの中で「君たちは大震災を乗り越えました。このことは、皆さんが将来大きな困難に直面した時に自信となり、乗り越えることができるでしょう」と話しました。また、多くの新成人が出席したという事実は、生まれ育ったまちを思う気持ちの表れなのだろうとうれしく感じました。同時に、その思いに応えられるようなまちづくりに取り組もうと気持ちを新たにしました。
 新成人の皆さん、故郷山田で育ったことを誇りに、人の役に立つ大人になってください。



 平成28年1月1日
 「町長からの年賀状」
 
 新年あけましておめでとうございます。本年が、町民の皆さまにとって良い年になりますよう祈念いたします。
 山田町では、10年間という期間で復興事業を進めております。そして、この3月11日には5年の節目を迎えます。平成33年にはゴールを迎えますが、そのためには、これまでの期間をいかに過ごしてきたかを総括する必要があると考えます。
 発災から2年間は、生存者の救出や行方不明者の捜索、応急仮設住宅の建設、災害がれきの撤去など多忙を極めました。その間、復興基本計画の作成という重要な仕事も進めてまいりました。その後は、高台宅地造成や嵩上げ工事、高台避難道路の整備など土木工事が主な仕事でした。2年ほど前より建物の建築も始まり、民間住宅や商店も完成しだしました。つまり、形として見える取り組みが始まったのは3年前からになります。
 ここで私たちは、そろそろゴールから逆算した計画に視点を変えなくてはならない時期に来ております。新年度はそのような意味から「本格的な生活再建への正念場」と位置付け、職員一同頑張ります。
 最後に、ことし一年が町民の皆さまにとって希望に満ち、笑顔の溢れる素晴らしい年であることを心より願い、新年のごあいさつといたします。